1年後に発見されたエンディングノート

2015/07/07

エンディングノートには故人の思いが詰まっている

エンディングノート。それは、故人が生前に、家族への思いや葬儀方法などの希望、さらには本人にしか分からない物事や伝達事項について、記しておくノートのことです。
そんなエンディングノートにまつわるエピソードをご紹介したいと思います。 

エンディングノートにまつわるエピソード

遺言書との違いは、法的な効力がエンディングノートにはないことです。その一方、形式などにとらわれず、故人の自由な思いが書かれていることが多く、それは時に残された家族を勇気付けるものにもなります。

 

早くして病死した父親と、残された家族たち 

ある家族の父親が五十代の若さで、大腸がんで倒れました。入院後、症状は一進一退を繰り返し、長期化した結果、残念ながら亡くなってしまいました。
残された妻と子供たちは悲しみに暮れましたが、長い闘病生活の中で、もしもの場合について家族全員で考える時間もあり、葬儀や相続などについては、なんとか問題なく済ませることができたようです。

それでも、妻もまだ五十代、残された三人の子供たちもまだ二十代の長男、次男、そして高校生の長女だったため、早くに家族の大黒柱がいなくなってしまった事実は、家族全員に大きなショックを与えました。父親は最後の1ヶ月ほどは、意識もうつろで話すことが難しくなっていたため、妻も子供たちも、何より「もっと話をしたかった」という後悔が大きかったようです。
特に、高校生だった長女は、元々無口だった父親に対し反抗期も終わっておらず、いなくなってから、「なぜもっとお父さんに優しく出来なかったのか」と苦しんでいたそうです。

 

一年後に発見されたエンディングノート

まだ家族が悲しみから完全には立ち直れないまま、一年が過ぎました。そんな中、父親の書斎を整理していた長男が、引き出しの奥から、エンディングノートを見つけたのです。

父親の書斎を整理していた長男

まだ大腸がんがそれほど進行しておらず、一時帰宅した際にこっそり書かれたもののようで、そこには、妻と三人の子供に対する感謝の言葉と、自分がいなくなってからも勇気を持って、元気に生きていってほしいという言葉が記されていました。

無口で普段言えないことを、筆に込めたのでしょう。家族一人ひとりに対し、丁寧に、思い出を交えながらメッセージが書かれていました。

 

残された家族が未来を向くきっかけに

妻に対しては、苦労をかけたこと、若い頃の二人の恋の思い出、そして今後の健康への気遣いが。長男へは、家族を自分に代って支えていってほしいという願いが。次男へは、就職したてで大変だと思うが、くじけるなという励ましが。

そして、長女へは、本当は優しい子だと誰より分かっているから、好きな道を選んで自信を持って生きていきなさいというメッセージが、数々の家族の思い出とともに書かれていたそうです。そのエンディングノートは、その一家が悲しみから立ち直り、未来を向くきっかけになりました。

また、遺品整理というほどではありませんが、「あの時計は長男に」、「万年筆は次男に」、「蔵書は本好きの長女に」と、簡単な形見分けも書かれており、そうしたことも、家族に心強さを与えてくれたようです。

 

元気なうちにこそ、エンディングノートを

実はこの話は以前私の元で編集のアルバイトをしてくれていた女の子が語ってくれたものです。彼女は、お父さんのエンディングノートを読んで、後悔の無いように生きていこうと決め、その後高校、大学を出て、希望していた出版業界に進んだそうです。彼女は、今では立派な若手編集者として活躍されています。

葬儀や相続など法的な遺言書ももちろん大切ですが、それとは別に、エンディングノートに記した思いの丈が、残された家族の心を救うこともあるのです。家族への思いは、口に出すのが恥ずかしい場合や、病気などで現実的に伝えられない場合もあります。元気なうちに、エンディングノートに家族への思いを書いておくことは、非常に大切だと感じました。

亡くなった後に、思いを届けることができる――。それはとても素敵なことではないのでしょうか。

この記事を書いたライター

久保田 雄城
久保田 雄城

「終活情報を伝える意味について想うこと」

私の母は、今年87歳だが元気に一人暮らしをしている。とはいえ87歳という年齢は当然若くはない。来るべき死に向けて準備をする必要であることは間違いない。これは母自身というより、むしろ息子である私の問題だ。
つねづね私は「よく生きることは、よく死ぬことだ」と考えている。終活とはまさにその「よく死ぬ」為の活動だろう。そのような意味において、私が伝える終活情報は皆様と同じように私もまた知りたい情報なのである。