インフォームド・コンセントとは?

2015/08/07

インフォームド・コンセント

インフォームド・コンセントは現代医療の用語だが、自分が受ける治療について、医師から正しい説明を受け(informed:説明を受ける)その内容に合意(consent:合意する)すること、という意味である。
医療とは本来患者中心のものである。
専門的知識・技術を持つ医師だとしても、患者に十分な説明を行わず治療・もしくは手術などを勝手に進めるのではなく、内容・方法についてきちんと両者の合意があった上で治療を進めていかなければならない。

これがつまり、インフォームド・コンセントがなされなければならない、ということなのだが、この考えが、ここ数十年来の日本医療における人権意識の高まりと並行して広まっている。

インフォームド・コンセントとは?

エホバの証人事件

実は、この「インフォームド・コンセント」という言葉・概念が広く認知されることになったきっかけの一つに、「エホバの証人輸血裁判」というものがある。

1992年、東大付属病院で肝臓ガンにかかっていた女性がいた。
この女性は「エホバの証人」という宗教に信者で、その教義の中では輸血が禁じられている。
当時最先端の輸血を行わない治療法があると聞いて、この女性は東大付属病院に入院していた。女性は担当医に輸血だけは絶対にしないで欲しいと繰り返し話しており、担当医・病院側はこの女性が輸血を激しく忌避していることを認識していた。
しかし女性の容態が急変し緊急手術、その際に一刻も早く輸血を行わなければ命が助からないという状況になった。
結果、担当医は人命を救うことを第一に考え、本人はもちろん家族への許可も取らずに輸血を行った。
緊急手術は無事成功し女性の命は助かったのだが、手術後輸血の事実を知った女性とその家族は東大病院と担当医に対して民事訴訟を起こした。

裁判の結果は、
一審(東京地裁):原告(患者側)の訴えを棄却
二審(東京高裁):被告に損害賠償支払い命令(原告勝訴) 
三審(最高裁):高裁判決を支持
というものだった。
命が絶たれるかどうかの瀬戸際で医師が下した判断は間違っていなかったのではないか?という疑問は生まれて当然だ。
実際に一審の地裁判決では、いかなる場合においても輸血を拒否するという特約は生命保護の観点から見て公序良俗に反する(すなわち、輸血しなければ死ぬという状況で輸血をしないとすれば医者は患者を見殺しにすることになる)として原告の訴えを退けた。

エホバの証人事件から考える現代医療との向き合い方

「自己決定権」という言葉がある。
平たく言うと「自分の人生のあり方を自分で決める権利」で、憲法の基本的人権の中に含まれているとされる権利だ。
この権利からすれば、輸血を拒否し続けていた患者の女性は、緊急の状況とは言え無理矢理「自己決定権」を侵害された、と見ることができる。
「インフォームド・コンセント」がなされない場合、このように自己決定の機会が剥奪されてしまうことになるのである。
二審以降ではこの自己決定権の保護の観点から原告勝訴となった。

非常に高度な専門的知識・技術を必要とする現代医療であるが、患者と医師は細部に渡るまで情報を共有しなければならない、というのがこの裁判の出した結論なのである。

この記事を書いたライター

雨輝
雨輝

生き死の問題は、人生の長い時間は考えないものです。メメント・モリ(死を想え)といった言葉があるように、死について真剣に考えることで、生きている意味を見出そうとし、有意義な生活が送れると思っております。
今この瞬間も死に直面している人もそうでない人もいますが、死は誰もが通過する道です。万人に共通する「死」というテーマで執筆することによって、多くの方々に「生」を実感してもらえればと願っております。