形だけの仏教徒でも仏壇は必要か

2015/08/10

古い友人からのとある相談「仏壇は必要?」

形だけの仏教徒でも仏壇は必要か

先日、古い友人のお父上が亡くなられ、葬儀に出席してきました。
友人と私は高校時代以来の悪友で、お互いが社会人になってからも、年に一度ほど会う機会を設け、数十年ずっと交流を続けてきました。
長い付き合いのため彼の家族とも親しく、特にお父上とは三人でお酒を飲んだこともあり、私自身も、葬儀は少なからず胸に去来するものがありました。

葬儀自体は、一般的な浄土宗のものにそった仏式で、しめやかに執り行われていました。
友人も、立派に喪主の務めを果たしていました。

友人から改めて連絡があり、「相談に乗ってほしいことがある」と言われたのは、葬儀の二週間ほど後のことです。
相談の内容というのは、「自分も亡き父も、形だけの仏教徒だったのだが、果たして仏壇は必要か」というものでした。

友人も、亡くなられたお父上も「形より気持ち」というタイプ

友人は、「宗派としては、祖父母以前の代から家は浄土宗だったが、基本的に自分も父も無宗教で、母や兄弟と、仏壇や法事などをどこまでやるべきか悩んでいる」と話してくれました。
言われてみれば、確かに彼の家はかなりフランクというか、そういったことにこだわりが無く、生前のお父上も何事においても「形より気持ち」を大切にする方だったな、と思い出しました。

私は、形そのものにこだわるよりも、お父上が喜ぶような形、友人をはじめとした遺族の方々が、心安らかに供養できる形が一番ではないか、と、まず友人に伝えました。
ただ、葬儀をすでに仏式であげ、位牌や戒名などもあるとのことなので、一通り調べてから、再度連絡すると伝えました。
私としても、友人や彼の家族の力になりたいと思ったのです。

実際に、僧侶にも相談してみる

形だけの仏教徒でも仏壇は必要かその後、僧侶をしている別の友人と連絡をとり、形だけの仏教徒でも仏壇は必要なのか確認してみました。
その友人の話では、本来仏壇というのはご本尊である仏様を祀るものであり、身内に不幸があったからと言って、必ず用意しなくてはならないものではない、とのことでした。

形式よりも、やはり故人を偲ぶ気持ちの方が大切であり、写真や位牌だけを飾って手を合わせるだけでも十分だと教えてくれました。
また、変に形ばかりにこだわることは、かえって本当にその宗教を信仰する人や、仏さまにも失礼に当たるということでした。

それでもやはり仏壇を用意すべきでは、と気が咎める場合は…

檀家関係にあるお寺から遠く離れて暮らす方の場合、法要の時期であってもお坊さんが自宅を訪ねてくることのない場合が多いでしょう。こういったことを背景に、最近では宗派を問わず従来通りの仏壇を用意すべきか迷う方も増えています。
マンションで仏間は無いから居間で…といった事情に合わせて家具調の仏壇が人気となりました。また、もっとシンプルに仏壇を置くのではなく敷物等でちょっとしたしつらえを作りお位牌を飾ったり写真立てくらいのコンパクトなご本尊を置くといったやり方をされる方も。
本格的な仏壇には抵抗があるもののどこかで「やはり仏壇を用意すべきでは」と気が咎めるなら、そうした選択肢からしっくりくる形を探すのも良いでしょう、と僧侶の友人は教えてくれました。

遺族が自然な形で故人を偲ぶ、ことが大切

形だけの仏教徒でも仏壇は必要か
私が僧侶から聞いた話を伝えたところ、友人は家族と話し合い、仏壇は置かず、居間に小さなスペースを作り、そこにお父上の写真と位牌を飾ることに決めたそうです。
仏壇のようにお線香をたてたり、お経をあげたりという形ではありませんが、彼をはじめ家族はお父上の写真の前で手を合わせ、生前の好物をお供えしているようです。

その方が、友人たち残された家族も、自然な形でお父上のことを偲び、思い出しているとのことです。
やはり、形にとらわれるのではなく、正直な気持ちを込めることが大切なのですね。

この記事を書いたライター

久保田 雄城
久保田 雄城

「終活情報を伝える意味について想うこと」

私の母は、今年87歳だが元気に一人暮らしをしている。とはいえ87歳という年齢は当然若くはない。来るべき死に向けて準備をする必要であることは間違いない。これは母自身というより、むしろ息子である私の問題だ。
つねづね私は「よく生きることは、よく死ぬことだ」と考えている。終活とはまさにその「よく死ぬ」為の活動だろう。そのような意味において、私が伝える終活情報は皆様と同じように私もまた知りたい情報なのである。