ドイツのホスピス訪問

2015/08/27

ドイツのホスピス訪問

2012年10月にフランクフルトにあるホスピスを訪問しました。
フランクフルトはライン川の支流マイン川にある都市で、金融の街として有名です。ドイツの銀行がここに集結していて、日本からも多くの駐在員や出張で訪れているビジネスマンを見ることができます。日本総領事館、日本食レストラン、スーパーなども多く、デュッセルドルフについで日本人との関わりが大きい街と言えます。

この街の中心地に有名なショッピングストリート、ツァイル(Zeil)があり、いつも観光客で賑わっていますが、その少しはなれたところにこのホスピスはあります。
ドイツでは、都市の大きさに合わせてホスピスの設置数が決められていて、フランクフルト市の人口56万人に対し市内には2つのホスピス施設があります。ドイツのホスピス訪問

『プロテスタントホスピス フランクフルト アム マイン(Evangelisches Hospiz Frankfurt am Main)』

その1つ、12床のホスピス『プロテスタントホスピス フランクフルト アム マイン(Evangelisches Hospiz Frankfurt am Main)』を訪れました。外は少し肌寒くなり、夜には防寒着が必要となっていた季節でした。
ドイツのホスピスの多くは教会系の福祉団体が支援をしています。ここもそういった組織で、教会が母体となっています。とはいえ「運営は独立した機関となっている」とのことでした。

ホスピスはターミナルケアのための施設であり、患者にとっては限られた余命であることを知りながら残された時間を過ごす最期の場所となります。
「人生における最期のときもまた、自然におこる人生の一部として私たちは認識している。そのためホスピスはその死を迎えるまでの時間を可能な限り自立した人生である必要がある。これはこのホスピスが掲げるホスピスの定義です。」案内して頂いた責任者の方の話では、患者の滞在期間は平均3週間程度で、長い方でも3ヶ月以下ということでした。

施設の様子

週に1度、医師の訪問診察があります。患者によってかかりつけの医師がいる場合は、医師の選択の自由があります。
投薬は医師の計画書のもとに細かく決められ、薬が毎日施設に届けられています。痛み止めであるモルヒネなど急を要する薬剤に関して、上限を決めることで看護師が頓服薬としての投薬量を判断します。

施設は4階建で、比較的街中にありながらも、ゆったりとしたスペースでした。建物自体新しく、清潔感にあふれています。
入居部屋の1つを見せて頂いたのですが、ワンルームの間取りで狭さは感じない程度、一般的な部屋の配置であり壁自体も通常の住宅に使われるような一般的な模様でした。また部屋ごとにテレビ、電話、ネット外にはバルコニーが設置してあるそうです。

施設自体が通常の住宅に近い様相を備えている一方、オペレーションとしては夜を徹しての看護がシフト制で続けられており、緊急時に備えています。
従事者には、常勤の職員、看護師、家政婦、セラピスト、牧師の他に、かなり多くのボランティアの存在があり、直接患者さんと多くの時間コミュニケーションをとっているということが印象的でした。

ホスピス・ターミナルケアを支えるボランティア

…ここに限らずドイツではボランティアによるサポートが大きく彼らが社会貢献を果たす土壌があります。日本同様、特にボランティアに必要な資格のようなものはなく年齢層や職業も様々です。

ターミナルケアで問題になることの一つには、それを支える家族やスタッフの負担があることです。かつて日本の緩和ケア施設を持つ病院のスタッフの方に話をうかがったことがありました。
「経験の浅い看護師は死を迎える患者の対応が一番心身に応える、そのための従業者である看護師に対する十分なサポートも必要になる」ということでした。
医療のような専門的な知識を要する分野であり同時にホスピスという責任や負担の大きいと思われる領域であっても、ボランティアとしてやりがいのもてる社会活動に参加できる社会の受け皿があること、またそういったボランティアでの関わりに対する患者や入居者・その家族を含む市民の理解力には、成熟した社会を感じさせます。

私のことを少し…

私は、2006年以来ドイツで生活しています。
その前は、日本で地域医療に薬剤師として携わり、自宅へ薬のお届けをする事もありました。その際に簡単な体調・服薬状況の管理をしてきました。
終末期の患者の処方箋も受けることももちろんありましたが、直接患者やその施設を訪問する事自体はやはり少なく、日本、ドイツを通してこれが初めてのホスピスへの訪問でした。
ふり返ってみると、このあとの自分の仕事、人生のありかたへの新しい第一歩であったような気がします。

この記事を書いたライター

大山 龍
大山 龍

最期を考えることは今を生きている間は難しいことだけれども、決してネガティブなことだけではない。突き詰めて、最期のことを考えれば自然に、今をどう暮らせばいいのか見えてくるはず。
そんなにロジカルなことではないけれど。高齢化社会が進む中で、地域医療、介護、終末ケアの意義も益々クローズアップされていくでしょうし、様々なスタイルやコンセプトも今後投げ出されていくはずです。
それでも死とは誰もが迎える自然のこと。医療と美術、相対するかのようなそれぞれの視点で“終活”を考えてみたい。