終末医療…親族の視点【ドイツ】

2015/08/28

終末医療(Ende des Leben)についての親族の視点【ドイツ】 

ある友人の叔父が末期がんを宣告され、2014年になくなりました。
その友人の話より。

友人はバーデンヴュルテンベルグ州 (Badenwuerttenberg)に家族と暮らしていましたが、肺がんを告知された彼の叔父が療養する故郷、旧東ドイツ、ザクセン州の都市ライプチッヒ(leipzig) に月一で見舞いに通っていました。
彼の叔父は肺だけではなく他にも癌の転移が見受けられ、もはや治る見込みがない状態でした。

ドイツ東西の統一から36年が経過した頃でした。
統一後の旧東ドイツの開発と発展は進んでいますが、労働条件の格差や地域格差の是正はまだなかなか解消とまでは至っておりません。多くの人々が安定して条件の良い職を求め旧西ドイツに向かいました。友人も同様に安定した職を求めて、ドイツ西部の州での学校の公務員として職を得、家族を支えています。

私は、友人とは家族ぐるみの付き合いで、ことあるごとに彼の家に呼ばれ、夜通し語り合い、奥様にはしばしば旧東ドイツの郷土料理をごちそうになりました。その一つ、ザクセン州の名物料理ケーニッヒスベルガークロプス(koenigsberger klopse)は、各世代で受け継がれている旧東ドイツの料理です。
ケーニッヒベルグは、現在はロシアにある都市カリーニングラードのことです。カリーニングラードは旧プロイセン地方に位置し、かつてその住民の多くは、第二次世界大戦後に逃亡や追放によってドイツに移住。そんな歴史が彼の家族のルーツなのでした。

私自身も、何度かライプチッヒの家にも行かせてもらいました。夕食の時など彼のご両親や年齢を重ねた人たちがよく口にするのは、(日本でも同様ですが、)「昔(旧東ドイツ)のほうが良かった」といった話です。
人生の豊かさは物では無いということと、人の記憶は世界共通で過去へのノスタルジーと共にあるのかもしれません。終末医療…親族の視点【ドイツ】

患者が死を迎える場所を選ぶという権利

彼の叔父は、余命宣告を受けて後、実際に亡くなる約一ヶ月前にホスピスに入りましたが、それ以前は自宅と病院とを行き来していました。
ドイツでは「人生の終末期は、なるべく住み慣れた場所で過ごすべきだ」という考えが強く、彼の家族もできるだけ自宅で看病することを望んでいました。

ちなみにドイツでは、自宅で介護するための補助がしっかりしていて現金給付があるため、介護が必要な家族を抱える家庭では病院や施設よりも自宅で看病することが多いといいます。終末期に関しても、在宅のターミナルケアがすすんでいて充実した終末医療が受けられるよう配慮されています。他方、ホスピス施設への入所にかかる費用には基本的に自己負担はなくほとんど保険でカバーされています。
つまり、患者の死を迎える場所を選ぶという選択権が制度的にも成立しているのです。日本では8割方の患者が病院で看取られることを考えると、倫理的にも、また社会制度的にも、これからの日本で看取りがクローズされていく中にあって、大いに参考となり得る1つの形があるように思われます。

戦前戦後の時代を生き抜いた人生

彼は最期をホスピスで迎えました。多くの家族に見守られながら。
友人はその前日にお見舞いに行っていました。その矢先の悲報に彼も少し驚いたと当時のことを話してくれました。友人は、亡くなった叔父の遺品を分けてもらいました。その中にあったアルバムからも戦前戦後を生き抜いた彼の叔父の人生をかいま見ることができました。

戦中をくぐり抜け、戦後すぐに東西に壁が隔てられ、ドイツに移住せざるをえなかった友人の家族。
私たちの一世代前である戦前戦後の時代を生き抜いたという人々の人生は、私たちには想像しにくいことですが、その実体験を直接聞く事はますます少なくなってきています。また、死に対する概念も今のものとは違っているようにも思いますが、よく分かりません。

私は昔、太平洋戦争の経験を持つ大叔父によく話を聞かせてもらいました。その私の大叔父の話は、友人の叔父の話と少しかぶるところもありました。
終戦直後の東南アジアから日本への追われながらの帰還は、生と死の紙一重を何度も味わった体験だったそうです。
生きていることの意味や生かされたことへの感謝の重みはその後、彼らの人生に大きく影響を与えたことは疑いないだろうと感じました。

ちなみに、私のその大叔父は、重度のアルツハイマー症を煩い施設に入りました。当時私はお見舞いにも行きました。そして彼の最期は施設で看取られました。同時期にアルツハイマーを発症していた大叔父の妻も、夫を追いかけるように1ヶ月後同じ施設で亡くなりました。

この記事を書いたライター

大山 龍
大山 龍

最期を考えることは今を生きている間は難しいことだけれども、決してネガティブなことだけではない。突き詰めて、最期のことを考えれば自然に、今をどう暮らせばいいのか見えてくるはず。
そんなにロジカルなことではないけれど。高齢化社会が進む中で、地域医療、介護、終末ケアの意義も益々クローズアップされていくでしょうし、様々なスタイルやコンセプトも今後投げ出されていくはずです。
それでも死とは誰もが迎える自然のこと。医療と美術、相対するかのようなそれぞれの視点で“終活”を考えてみたい。