暮らしの中のお葬式:佐渡 【後編】

2015/09/03

暮らしの中で見聞きしたお葬式:佐渡 【後編】 お葬式以降

古い葬送文化が色濃く残る佐渡の風景佐渡のお葬式は部落密着型

30年前の佐渡のお葬式は、その存在感が本土とは全く異なりました。1つの大きな舞台にみんなで上がって何かを演ずるような、「部落(村の単位)の人たち全員とのつながりを住民一人一人が強く感じるイベント」といった存在です。

まず通夜が終わったらお葬式の前に火葬してしまうのも特徴の一つです。イベントそのものに掛ける時間としては、通夜で2時間・お葬式で約3時間となり、この間ずっと正座することになります。現代の葬儀に比べたら半端なく長い長い時間の正座ですから、もう半分正座の特訓とも言い得るような時間との過酷な戦いとなります。 

通夜までは前編で語りましたので、ここではお葬式の話から始めます。 

お坊さまと屋号

お葬式に来ていただくお坊さんは通常は2名ですが、数多く呼べば呼ぶほど格式が高まるそうで(もちろんお金がその分かかりますが)、多ければ4名程のお坊さんを呼ぶようです。
住職お一人しかお坊さんがいらっしゃらないお寺は多いですから、その日は他所の部落のお寺のお坊さんにも来ていただくことになります。お坊さんを沢山呼ぶと「ふんぱつしたなぁ~えれ~(立派な)葬式出したもんだ!」と部落の人達のお褒めに預かることになります。地元のお堂で念仏を上げたときに使用した祭壇

ただ、ここでも留意すべきことはあります。
佐渡では結婚して離婚した女性のことを「アバ(さん)」と呼び、結婚しないで独身を通した男性、次男や三男で家を継がなかった人を「おっさん」と呼んでちょっと見下げられます。「アバさんやおっさんの葬式はあまり盛大にならないようにするべき」という不文律の習慣があり、その場合はお呼びするお坊さんも少なめになります。

 

佐渡は家単位で個人を捉えるので、亡くなっても決して本人の名前で呼ばれることはありません。その家の屋号で呼ばれます。たとえば「源吉さんとこのかーさん」「六平のじーさん」と言った感じです。屋号というのは家の名前で、佐渡では代々家主がその名前を継いでいきます。

ちなみに、現代でも屋号は残っていて普通に使用されているので、佐渡に来て部落の名前と屋号をいうと、住所や電話が分からなくてもその人自身のことを全く知らなくても通じるところがあります。これには「すごい!」といつも思います。 

佐渡のお葬式は「食べて応援!お見送り!」

さて、佐渡の葬式の他に独特な点としては、「お坊さんの読経の最中に、参列した会葬者が食べて応援すること!」です。

初めて体験される方は大抵びっくりして、確認を取るために近くの人にこっそり尋ねるか、不安を持ちながらおずおずと食べるかのどちらかです(笑)

佐渡には昔から、「亡くなった人は『霊鷲山(霊山)』と呼ばれる山を登って極楽浄土へ旅立つ」と思われています。そのため、亡くなって食べることができなくなった本人に代わり、葬式に参列している人がおにぎりやお饅頭・一膳めしを食べて本人に力を与える…といった意味合いが葬式の最中に食べ物を食べる行為に込められています。(そういう意味合いなので基本持ち帰りはダメです)

お坊さまの読経が流れている時におにぎりやお饅頭が配られますと、初体験の人はもう「へっ?!」と言った感じ…。ポケットにしまおうとする方、忙しそうに配っている方に「これどうするんですか?」と小声で問いかける方。
いつもそういった姿をみると葬式の最中なのに「くすっ」と笑ってしまいます。そりゃそうですよね。たぶん日本全国どこへ行っても葬式の読経の最中に後ろで“ぱくぱく”食べるなんて前代未聞ですものね。 

でもこれが佐渡の葬式では全く普通なのです。最近は簡略化されて、おにぎりやお饅頭、団子など配りやすくて、食べやすい感じになってきています。最新はおにぎりにもちゃんとおかずのお煮しめやつけものなどがついていて、まるでコンビニのお弁当。「おお~!進化してる」と思いました。(笑) 

私が体験したのは、白おにぎり2個バージョンとお饅頭のあんたっぷり入り2個バージョン。「全部食え!」と親類に言われて、正直なところけっこう過酷でした。(喉が詰まるぅ~、甘い…ひたすら甘い…茶が欲しい…と)
読経が終わるまでに食べ終えなきゃいけないところがこれまた辛いところです。 

ずっと以前は、お赤飯をちいさな椀に盛り一本のはしで食べるとか、左手で一本はしで食べるとか、真っ白い大きなおにぎりをひたすら食べるとかわけのわかんないことさせられたそうです。
思うに、死者の弔いなので、非日常の演出として通常と違うことをして見送ることが習わしだったのかもしれません。お布団を反対に引くとか、畳を一方方向に敷きかえるとか…すべてそういった思想に起因している気がします。 通夜ふるまいのセレモニーホールで出された食事

葬式が終わればすぐに納骨!

さて、お坊さまの読経が終わりました。本土の通常のお葬式であればお葬式全体が1時間半位で終了でしょうか。いえいえ、佐渡はまだまだです。お坊さまの読経の後、今度は部落から念仏が唱えられます。これが長い…実に40分~50分!

全部で3時間弱の葬式が終わってホッとするのもつかの間、今度はすぐ納骨に行きます。
ご遺骨は、本土では四十九日間自宅で保管するのが一般的かと思いますが、佐渡は違います。すぐその日にお墓に入ってもらいます。引き返しは絶対にしてはいけない

その際は、葬式に参列した親族と主親類、五人組の人達が一列に並んで墓までぞろぞろ歩きます。喪主がご遺骨を持つ一般的な形ではなく、先頭は五人組となった人で、故人のご遺骨を抱えます。ご遺骨を持つのにも装束があり、頭に何かかぶりものとワラで編んだ腰ひもを結んでいました。しかも広い場所で右回りに皆で三回、ぐるぐると回ります。多分、これも意味があるのでしょう。
子供の頃コタツの回りをぐるぐる回ると、祖母に叱られたのは、ここから忌み嫌われて注意されたのかもしれません。

葬式も納骨も「引き返しは絶対にしてはいけない」と言われました。そう、亡くなった方が迷うからです。
納骨に出る際、雨が降ってきたから傘を取りに帰りたかったのですがそれもダメ。雨が降ろうが、雪が降ろうが引き返してはいけないのがきまりなのです。

佐渡内でも地域により違いはあるかもしれませんが、遺骨は骨壺ごとではなくお墓に直接、素手で骨をつかんで入れます。その後はその手を海で洗う…塩水です。
海の近くに住む人々の風習としてはすごく合理的な気がします 

納骨が終わっても…

納骨が終わって…これで終わりかと思ったら、今度はお寺へ。多分これが初七日の法要なのでしょうか。
それもやっと終わったぁと思っていたら…あと一回、夜にコーラス(念仏)があると聞いて愕然!(泣)
「故人はお墓に入っちゃったのにぃ、まだやるの~」といった状態でした。

と…佐渡は長~い長~い葬送の一通りが終わるにはやっぱり三日三晩かかるのです。葬儀の際、佐渡では必ず必要な掛軸

 

佐渡の念仏とご詠歌

佐渡には昔も今も「念仏」が根付いています。前編でも触れましたが、「念仏」は通夜-お葬式を通じて佐渡の葬送文化の最も独特なところであると思われますので、改めて詳しくお話しします。

 

「念仏」。それはそれは長い合唱、つまり「コーラス」です。
何故、長時間になるか?それは通夜も葬儀も「ご詠歌」=「念仏」を部落の人たちが中心となり参加者の多くが一緒になって謡い続けるからです。
ただし、独特な節回しがあるので地元の人以外は歌えません(泣)
歌詞本もあるのですが、歌えるまでにはある程度レッスンが必要です(笑)

ちなみに若いお嫁さんは参加しません。年功序列というか、歳を取って世代が変わるとその家の代表として念仏に参加できます。ある意味、世代交代を部落に示す場でもあるのだと思います。

 

 一般的に「念仏」といえば、普通「南無阿弥陀仏」と唱えることとイメージしがちかと思います。しかし、佐渡の「念仏」は違います。「ご詠歌」と呼ばれる「西国三十三番」や「四国八十八ヶ所御詠歌」「善光寺和讃」を部落の人達で唱えて亡くなった方を見送る行為自体も含めて「念仏」といいます。

ちなみに、このご詠歌一曲一曲が長いのです。
例えば「西国三十三番」だと通常40分位のコーラスとなります。コーラスのリーダーとなるドウトリさん(中心になって歌うことを「ドウを取る」、その歌う人のこと「ドウトリ」といいます)は2人から3人で一組となり、「ドウトリ」さんと伴奏のリード次第で30分程で終わることも、50分位かかることもあります。唱えるテンポで変わるということですね。

念仏はこのように今でも残っています。
ただ、昔から長く念仏に参加している姉は「最近はこれでも短くなったんだよ」と言います。確かに、昭和50年代まで念仏は夜通しだった記憶があります。夜7時頃からの「宵の念仏」、夜中の0時からの「夜中念仏」、朝3時からの「夜明けの念仏」と一晩中詠った記憶が…。 

お寺のお坊さんが来るのは葬式からであり、儀式の全体を通しては、「家族と親類、部落の人達とで行う「念仏」で、故人の魂を極楽浄土へと見送るのだ」という感覚が共有されています。

佐渡を離れた立場で振り返ると、現代の私たちがいつの間にか忘れてしまった人と人との大切なつながりがここにあるような…そんな世界です。

 

最近の佐渡のお葬式事情

さすがに、短くなったとはいえ「念仏」は今でもありますし、葬儀の最中に食べることもいまだに行われています。
ただ、自宅で葬儀を行うことは、過疎化・高齢化に伴い少なくなりつつあります。お寺で葬儀を行う方もいますが、最近は佐渡にもセレモニーホールなるものがいくつもできて、そこで行うことにより簡略化されつつあるのが現状です。

しかし、部落全体を巻き込んで行われる佐渡の葬式は部落で人が亡くなる度にあるわけで…これが本来の日本の葬式の姿なのだとつくづく思うのであります。

この記事を書いたライター

かずりんこ
かずりんこ

「人は、いつかは死ぬもの…」そう思ってはおりました。しかし、その「いつか」は遠い先のこと…といった感覚でした。
それが、すぐ身近に感じられるようになったのは、2011年3月11日の東日本大震災の経験、更には同じ年の4月、普段通りの生活の中で突然眠るように父が亡くなったことがきっかけでした。父本人も命の尽きるその瞬間まで、まさか自分の命がそこで終わるとは分かっていなかったと思います。

以後、よく「死」を考えるようになりました。
自分の終演を、元気な今から、そして自分なりに遠くから、意識のどこかで見ていたい。その日を納得して迎えるために…。
これを「終活」というのでしょうか。