キリスト教カトリックの死生観

2015/10/01

多くの日本人には馴染みのないことだが、ひと口に「キリスト教」と言っても様々ある。ローマ・カトリック、プロテスタント・ギリシア正教……少数派の宗派も含めるとここでは書ききれない。
その中でもローマ・カトリック(所謂カトリック)はおそらく最も日本人の中での認知度が高いと思われる。ローマ教皇を中心とし、世界には12億人以上の信者がいると言われるキリスト教最大の宗派だ。キリスト教 死生観

カトリック信者の死生観とは…

そんなカトリック信者の死生観についてここでは触れてみよう。

カトリックの考えにおける「死」とは、霊魂が肉体から離れ神の元へ行くこと、神の元へ「召される」ことだとされる。

人間の肉体とはこの世のもので造られたものであるため、この世にある肉体的、物質的快楽によって満足を得ようとするし、やがては朽ち果て死に至るが、人間の霊魂とは物質ではないので滅びることはない。そして召される霊魂の中で、神を信じ罪と穢れのない霊魂のみが天国に入ることができ、やがて訪れる復活の時を幸福の中で待ち続ける。その天国とは神のいる所で、神の慈しみと愛が満ちている完全な場所。

他方、神を信じず罪ばかり犯していた霊魂は地獄に行くこととなり、そこは悪魔の憎しみでいっぱいになった場所なのである。
そしてもうひとつ、神への信仰心はあるが罪を拭いきれておらず、天国に入る資格がまだ得られないものは「煉獄」へと行き、苦しみによって罪を贖う。そして十分に贖ったあとは天国へと向かうことになるのだが、この煉獄の中で苦しみ続けている霊魂を少しでも早く天国へ向かわせるために、カトリック信者は教会で祈るのだ。 

誤解を恐れずざっくり言えば、「生前神様を信じ良い行いをしていれば、死後神様の元へ行けるし幸福でいられる」という考え。
そのためカトリックでの「葬儀」とは「故人への供養」がその趣旨ではなく、「神への信仰の場」であり「故人が地上での罪を許され天国へ向かうことを祈る儀式」なのだ。
先ほど少し触れたが、「天国にいる霊魂はやがて肉体の復活の日を迎えると地上に戻ってくる」とされている。
そのため「遺体は火葬ではなく土葬であるべき」という考え方があるのだ。

葬儀の意味合い

カトリックの葬儀では「レクイエム」が歌われる。この言葉は日本語では通常「鎮魂歌」と訳されるが、本来は「安息」を意味するラテン語である。
「文鎮」のように魂を「鎮める」という意味は本来なく、昇天してゆく霊魂に、永遠の安息が与えられることを願うための歌だ。
故人が穏やかな心で「眠る」ことを目的とする日本での一般的な葬儀、死者への向き合い方とは、対照的と言ってもいいほどの価値観の違いがここにはある。

この記事を書いたライター

雨輝
雨輝

生き死の問題は、人生の長い時間は考えないものです。メメント・モリ(死を想え)といった言葉があるように、死について真剣に考えることで、生きている意味を見出そうとし、有意義な生活が送れると思っております。
今この瞬間も死に直面している人もそうでない人もいますが、死は誰もが通過する道です。万人に共通する「死」というテーマで執筆することによって、多くの方々に「生」を実感してもらえればと願っております。