暮らしの中のお葬式【名古屋編】

2015/10/09

暮らしの中で見聞きしたお葬式【名古屋編】

親戚の息子さんが15歳という若さで亡くなりました。骨肉種という骨のガンでした。
どうしてそんな若さで…そう思っても人の命というものはそういうものなのかもしれません。病気とは聞いていましたがそんな若さで…まさかそんな。
「人は死ぬために生きている」という人もいますが、それにしてもそんな若さでこれからというときに、親御さん、ご兄弟、どんなお気持ちだったのか。
察するに時間はかからず、葬儀参列に察する私たちの眼にも本当に痛ましいものでした。

私は、その前に仙台や新潟で暮らした年数が長く、名古屋でのお葬式は初めてのことでした。名古屋については特色ある結婚式が有名ですが、お葬式も冠婚葬祭という意味では共通。どんな特色があるのか、多少覚悟しながら参列に向かいました。暮らしの中のお葬式【名古屋編】

棺に入れられるもの…名古屋ゆえの特殊事情は無し?

5年間の闘病生活で亡くなった息子さんの為に、棺には彼が生前大好きだった本であるハリーポッターシリーズの本が10冊程と、沢山のゲームソフト、そして沢山の花が入れられました。彼はそれらに囲まれて眠っていました。

棺の中には燃やせるもの以外を入れることを各地自治体でかなり厳しく制限していると聞きましたが、本はともかく、あれほどのゲームソフト入れちゃって大丈夫なものかと…ちょっと気になってはいました。

実際の所、その場では葬儀社の方達は何もおっしゃっていませんでした。ずっとご遺体に寄り添う母親の姿があまりにも痛ましく、注意の言葉を発することをはばかられたのかもしれません。

(あとで聞くと、本とゲームソフトは最終的には取り出されたようです。炉を傷めないためのルールはどこでも同様なのでしょうか)

名古屋のお葬式は派手なのか?

さて、名古屋は「結婚式は派手にする」そんなこと聞いたことありませんでしょうか?
実際暮らしてみる中で結婚式についてはそういえるよなと感じていましたが、「お葬式も派手なのか?」についてはよく分かっていませんでした。

私が、名古屋の葬儀に参列してびっくりしたのは、火葬にということで火葬場まで車を用意したときのことです。
黒いタクシーが5台ほど呼ばれていました。4人ずつ乗るとして20名が乗れる計算になります。ところが火葬場まで向かわれる方の人数が急に変更になったのか、実際には11名しか乗る必要が無かったのです。4人ずつ乗れば3台ですむわけですが。ここが名古屋です。「呼んだ車を返すことはできない」と5台に分乗して乗ることになりました。暮らしの中で見聞きしたお葬式 名古屋編

よく「葬儀・葬式」は“引き返すこと”はよくないといいますが、車の台数もキャンセル=“引き返し”はよくないことということなのでしょうか。

それとも、単にキャンセルは申し訳ないといった地域の風習とはあまり関係のない個人的な考え方での決定だったのかもしれません。

でも、実感としてはこういったところが名古屋らしいと感じています。黒い車が数多く並んだ方が、葬儀があったということを周囲に知らしめるような役割が果たせる、そんなところから最低台数が5台位といった感覚があるように思えました。派手というのとは少し違う気もしますが、遠からず…といったところでしょうか。

名古屋の火葬場の現状

名古屋の火葬場に着きました。小さな小高い丘のような上にあり、名古屋という大都市の割には施設が小さく古いイメージに思えました。あとから「名古屋市営の火葬場は1か所しかない」「火葬場が実はパンク寸前!」とも聞きました。

タクシーを降りて火葬場へと20M程歩いたでしょうか。古い施設の入り口をくぐると一歩入ってびっくり。円形に火葬棟がずらっと…30基以上はあったと思いますが、各々個別に仕切りがあるわけではなく、まるで「パン」を焼くかのごとく、ご遺体の入った棺が炉に次々に入れられていくのです。最後のお別れもまるで業務的で手を合わせることができるのもほんの数分。
「え?え?え?」とおろおろびっくりする私はもちろん、亡くなられた息子さんの家族も泣く暇もないままに、棺が炉に納められていくのを見守っておられました。

名古屋式「拾骨儀式」

数時間後…。「拾骨儀式」が始まりました。そうです。最初に行った全く同じ場所ですから、仕切りもないまるで昭和初期の工場のような一角です。
大まかな骨をいくつか拾うと、(子供の身体であるため)そう目立つ骨はなくなりました。
小さな骨箱に拾われた彼の骨が納められた後、まだ台の上には体の形に沿うように小さな骨があったですがこれら残骨は掃除機のような吸引装置であっという間に吸い取られていきました。

「え?骨だよ!掃除機使うの?」

もうちょっとで声に出して叫ぶとこでした。最後まで呆然と見ていた私を残し、家族の皆さんは打ちひしがれたように白い小さな包みに変わり果てた息子さんを抱えて出て行かれました。
最後の骨の粉までほうきとちりとりですくい取り、骨壺にご遺骨を入れる仙台や新潟の火葬場の方法とは全く異なった「拾骨儀式」に、「残りの骨はどうなるの???」と私の頭には疑問がふつふつ…。

「掃除機の中身はどうなるの?他の人の骨と混じってるよね?!」しかし、誰一人、残されて吸引された骨のことなど気にかける人はいません。私だけが「名古屋式」の「拾骨儀式」に疑問と戸惑いが一杯!
(今思うと、火葬場が足りない状況の名古屋においてはこのような効率的なプロセスにならざるを得ないのかもしれません)

後ろ髪を引かれる想いで火葬場を去ると又、タクシーに乗って葬儀場へと戻ったのでした。

盛り籠のお供え物は名古屋名物?メロン

そして、お帰りにはメロンを頂きました。名古屋といったら誰が言ったかエビフライとメロン!(あれ?違いました?)
近い親族だったからかもしれませんが、盛り籠のお供え物をバラして参列した親族におすそ分けをするのは仙台や新潟でも同様。全国的にそういうものなのかもしれません。
メロンを頂いたのはたまたまかと思いますが、ありがたくメロンの御供養分け、頂きましたよ。

さて、あれから12年…。今でも、名古屋の火葬場に向かうタクシーの件と掃除機を使用する火葬場は忘れることのできない体験となっています。もしかしたら名古屋の火葬場事情がよくなってずいぶんと習慣にも変化が出ているのかもしれません。

この記事を書いたライター

かずりんこ
かずりんこ

「人は、いつかは死ぬもの…」そう思ってはおりました。しかし、その「いつか」は遠い先のこと…といった感覚でした。
それが、すぐ身近に感じられるようになったのは、2011年3月11日の東日本大震災の経験、更には同じ年の4月、普段通りの生活の中で突然眠るように父が亡くなったことがきっかけでした。父本人も命の尽きるその瞬間まで、まさか自分の命がそこで終わるとは分かっていなかったと思います。

以後、よく「死」を考えるようになりました。
自分の終演を、元気な今から、そして自分なりに遠くから、意識のどこかで見ていたい。その日を納得して迎えるために…。
これを「終活」というのでしょうか。