先祖供養に意味はあるのか?

2015/10/16

日本の伝統的な慣習として、お彼岸の時期が訪れるとお仏壇の掃除を行い、お供物をお供えして彼の岸(かのきし・極楽浄土を指す)に渡ったご先祖様の供養を行います。またお盆の時期にはお彼岸と同様にお仏壇の掃除を行い、お供物を添えてご先祖様の霊を各家庭にお迎えします。また、これらの時期にはお墓参りに訪れるのが通例となっています。
このような行事の決まりごとは、なにがなんでも行わなければならないというものではなく、現代に生きる私たちそれぞれの気持ちによって行われるものです。先祖供養

他方、このような行事にはまったく無関心で、お墓参りにも訪れたことがないという方の話を耳にすることがあります。
そのような方にお話を伺ってみると、「親の代からそのような行事に携わったことがないから」、「生きている者が最優先。亡くなった人のことはどうでもいい」といった答えが返ってくることがあり、少々驚かされることがあります。

そのような行動や考え方を真っ向から否定することはできませんが、ご先祖があってこそ、現在の自分の存在がある。このように考えれば、ご先祖様の供養を行うのは当然であるという考え方もあります。

ご先祖供養を行う人とそうでない人。その差は、いったいどこから生まれてくるのでしょうか?

■ご先祖様にお願い事をする?

西洋人の牧師さんの、こんな話を耳にしたことがあります。

「日本の方は、神社やお寺に行くとなぜ、真っ先にお願い事をするのでしょうか?なぜ、感謝の気持ちを先に述べないのでしょうか?」

とても意味深い言葉であり、少々耳が痛いという方も多いのではないかと思います。
“困った時の神頼み”という言葉があるくらいですから、やはり神様や仏様はお願い事をする対象となるのは当然でしょう。ですが、そこには日ごろ平穏に過ごすことができていることに対する、感謝の気持ちがあって然るべきです。

これは、ご先祖様でも同様です。
仏事にまったく関心がないという方の中には、「ご先祖はなにもしてくれない。供養してもなにも変わらない」というような考え方をお持ちの方もいらっしゃるようです。ですが、ご先祖様はお願い事をする対象なのでしょうか?なにも叶わないのは、果たしてご先祖様のせいなのでしょうか?

違いますよね?

ご先祖様たちは、私たちが生を受ける以前に、さまざまな歴史を作り苦難を乗り越えて、それらを私たち子孫にバトンタッチして下さった方々です。私たちが生を受けることができたのは、ひとえにご先祖様の存在があったからであるということです。
つまり、そこには私たちの中にご先祖様に対する感謝の念が存在して当然であると考えることもできるのではないでしょうか。

あなたのお子さんが仏事にまったく興味を示さないというのであれば、現在の自分の存在、それはご先祖様があってのものなのだということを、じっくりとお子さんにお話されてみてはいかがでしょうか。

■ご先祖様の供養、いつから始める?

では逆に、あなたのご両親がまったく仏事に関心がないのにも関わらず、あなたがなんとかしたいと考えているのであれば、今すぐにでもご先祖様のご供養を始めることをお勧めします。お彼岸やお盆に捉われず、あなたが「ご先祖様との関係を見直したい!」と感じたときこそ、ご先祖様の供養を始めるチャンスです。

ご家庭にお仏壇がなくお守りしているお位牌がないのであれば、あなたのご先祖様が永眠しているお墓参りから始めてみることをお勧めします。

そのようなあなたの行動や姿勢は、やがてはあなたのお子さんにも伝わり、お子さんは仏事を大切にする大人に育ってくれることでしょう。 

■なぜ人はご先祖供養を行うのか?

「この世に魂とか霊といった存在はないのだから、わざわざご先祖供養を行う必要はないのでは?」というお考えをされる方は最近多くなったように感じます。ただ、魂や霊の存在は否定されても先祖供養に深い意味を認められる方も同時に増えつつあるように感じます。

たしかに、従来において先祖供養の動機づけとして以下2つが代表的なものであったと思われます。

1.地域の慣習として地域社会の中での同調圧力
 地域の人間関係が生活の上で重要要素である関係においては、極めて強力に機能したことでしょう。
2.霊魂の存在のリアリティ
 霊魂をどこかで感じるがゆえに、祟りやご加護といった超自然的なパワーや影響を想定することによるモチベーションです。

しかしながら、現代の(特に都市部の)生活においてはこのどちらも弱まっている状況が拡がりつつあると思われます。
ただ、村社会におけるような濃密な地域社会とのかかわりが薄れ、それとの関係でアイデンティティを形成することが難しくなる中、自らの生涯を「過去を生きたご先祖様と、未来を生きるであろう子孫との関係の中に位置づける」ことで強化する考え方もまた拡がってきたように感じます。

人々に共有される先祖供養の意味も時代により移り変わっていくのかもしれません。

この記事を書いたライター

山田 美羽
山田 美羽

命には限りがありますが、最終章を迎えるまでには案外多くの時間が残されているものです。ただなんとなく過ごして最終章を迎えるのか、限りある時間を自分なりにコーディネートして楽しく過ごすのか。終活は2文字で構成されていますが、それが持つ意味はとても深いのではないかと思います。

セラヴィで執筆させて頂くに当たっては、皆様方のこれからの人生がより楽しく塗り替えられることを願い、有益な情報を発信し続けて行こうと考えております。