「戒名代の二重払い!?」、ショックだったお葬式の体験談【後編】

2015/12/22

現代は、死んだ後もお金がかかります。

「死後まで、家族に迷惑をかけたくない」と、考える人は少なくありません。

 

生前戒名

M氏は、亡くなったK氏と親しくしていました。菩提寺も同じT寺でした。

M氏は、K氏の息子から「戒名代400万円」の話を聞いて考えました。

「死んだ後まで、妻や子供達に負担をかけたくない」

M氏は、毎日仏壇に手を合わせ、お盆やお彼岸の墓参りを欠かしたことはありません。年忌法要も、T寺の住職に教えられた通り、きちんと行っています。

K夫人とその息子のように「T寺とは、もう付き合いたくない」などとは、夢にも思いません。

そこで、M氏は「生前戒名」をもらうことにしました。生前に戒名を頂いておけば、死後、家族の負担が少なくなります。

T寺の住職も大いに勧めたので、M氏は相当な費用をかけて「生前戒名」をもらいました。

すべての儀式・手続きが終わり、ほっとするM氏に、T寺住職が澄ました顔で厳かに言いました。

「これは、生前戒名でございますから、亡くなった時にお使い頂くことはできません。いや、お使い頂くこともできますが、その時には、改めて、戒名代を頂戴することになります」

M氏は驚きました。

生前戒名をもらっていても、死んだ時に、また戒名代が必要になるとは、どういうことでしょう?戒名代の二重払いになってしまいます。

「そういうことは、生前戒名を頂戴する前に、御説明頂きたかったですね」

温厚なM氏も、さすがにむっとしましたが、住職は平然としています。

「これは常識でございますよ。Mさんなら御承知のことと思っておりました」

今更、戒名を返上することもできず、M氏はため息をつくばかりです。

 

地獄の沙汰も金しだい

本来、戒名は、仏教の戒律を守り、厳しい修行を積んで、御仏の弟子となった証(あかし)として、頂戴するものです。

「戒名を頂き、僧侶になれば、極楽に行ける」と、考えられていたのです。

ですから、戒名は生前に頂戴するのが本当なのです。

一般の人々は僧侶になるわけにはいきませんから、檀家として「お寺さん」に貢献し、死後、極楽に行けるように戒名をもらうのです。

ふだんから寄進をしたり、お寺さんの手助けをしたり、貢献度の大きい人は、△△院○○居士などのように長くて格式高い戒名を頂戴できます。日頃、お寺とは無縁の人は、遺族が大金を納めて、格式高い戒名をもらいます。

格式の高い戒名は「お寺に貢献した証」ですから、極楽に行けるわけです。まさに、「地獄の沙汰も金しだい」です。

日本の仏教は、「葬式仏教」と言われます。

信仰の対象というより、葬儀という儀式のための存在となっているようです。

仏教が世俗の垢(あか)にまみれたのは、遠く奈良時代に始まります。仏教が「鎮護国家」を目的とした時から、世俗権力(天皇や貴族)と結びつきました。

平安時代末から戦国時代まで、大寺院に抱えられた僧兵の横暴は目に余りました。もちろん、戒律など守らず、肉食・女色、「何でもあり」です。

布教よりも金儲けや蓄財に熱心な寺院が多くなり、財産や権益を守るために僧兵のような武装集団を雇っていたのです。

徳川幕府は檀家制度を利用して、戸籍管理やキリシタン取締りを行いました。寺院が政治体制の一部に組み込まれてしまいました。 

こうして、寺院と金銭は切っても切れない仲になっていきました。

明治維新以後、廃仏毀釈運動が盛んになり、僧侶は妻帯を命じられました。

ここで、仏教の権威は一挙に崩壊したと思われます。

宗教家というのは、どのような宗教でも、一般人(俗人)にはまねのできない厳しい修行を積み、戒律を守ってこそ、清浄な心域に到達できるのです。

俗人と同じ生活をしていれば、「金儲け」に熱中してもおかしくありません。

 

現在もいる、尊敬できるお坊さん

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K氏・M氏の話を聞いて、H氏は「葬儀は無宗教で行え」と遺言しました。

「金で戒名を買っても、極楽浄土には行けない。それなら、無宗教でいい」

H氏の遺族は、遺言通り「鎮魂ミサ曲」で通夜と告別式を行いました。

ところが、告別式の翌日、H氏の次男が友人の僧侶を家に連れて来ました。五十年配のスーツ姿の男性です。

信州から北陸にかけての山岳地帯を巡って修行をしているという僧侶で、「ぜひとも死者の魂を弔いたい」と言います。

 H夫人も長男も「金儲けに来たのか」と思いましたが、次男の友人ですから無下に断ることもできません。「お布施」を用意して、お経を上げてもらうことにしました。

僧侶は衣服を改めて遺骨の前に座り、一心に読経しました。読経は30分以上続きました。読経の後は、夫を失ったH夫人の悲しみを和らげるように、いろいろな話をしてくれました。

供養料などお布施は一円も受け取りません。次男が夕飯を御馳走して終わりでした。

その後、戒名を記した白木の位牌が届きました。

「御冥福をお祈り申し上げます」というメッセージがあるだけで、H夫人にも次男にも、戒名代の請求は皆無でした。

葬儀社の人が位牌を見て、「この戒名は、百万円かかります」と言いました。

驚いた次男が僧侶に問い合わせると、「亡くなった方の魂を鎮め、遺族の心を慰めるためにしたことです」と応えるばかりでした。

「こういうお坊さんに来て頂けるなら、仏式の御葬儀もいいものね」

H夫人は僧侶に感謝しています。

心から死者の冥福を祈る僧侶は、決して少なくありません。

寺院の格式にとらわれず、誠実な住職のお寺を見つけたいものです。

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。