変化する現代の供養(前編)

2016/01/22

時代とともに供養の仕方も変わります。

家族葬や音楽葬、お別れの会や偲ぶ会など、葬儀にもいろいろあります。

 

大がかりな社葬が減った

この数年間、大きな葬斎場を借り切って行う社葬が減り、ホテルの大広間で「お別れの会」を催す会社が増えているようです。

2008年のリーマン・ショックで、世界中が「百年に1度の大不況」に襲われた頃からですから、「経費節減の一環」かと、思いましたが、どうやら、それだけではないようです。

 

 ホテルで行う「お別れの会」は、あまり時間がかからないという利点があります。

たいてい、会葬者に献花して頂き、ビッフェスタイルの食事をお出しします。

忙しい現代人に、葬儀から告別式まで2時間にも及ぶ社葬は合わないのかもしれません。社葬となれば、きちんと喪服を着ていく必要もあります。

お別れの会ならば、「平服でお越しください」と言われますから、男性はダークスーツに黒ネクタイ、女性はダークグレーか紺のスーツで伺うことができます。献花して、遺族にお悔やみを述べ、その後すぐに仕事先へ廻れます。

時間があれば、遺族や知人と故人の思い出話などをして偲ぶこともできます。

 

「お別れの会」「偲ぶ会」は、遺族の希望で葬儀形式にすることもできます。

葬儀委員長を頼んだり、親しい方に弔辞を読んで頂いたり、喪主が挨拶したり、社葬に近い形で行うことも少なくありません。

 

もう一つの利点は、宗教・宗派に無関係ということです。

世の中がグローバルになり、大企業も中小企業も海外取引が増えています。

外国人は日本人に比べて宗教に厳格です。私の近所に住んでいたカナダ人夫婦は、私達が神社に初詣をしたり、お祭りに参加したりしながら、お盆やお彼岸にお寺参りすることが、理解できませんでした。

「仏教と日本神道は違う宗教でしょう。なぜ両方を拝礼するのですか?あなたは、どちらを信仰しているのですか?」

宗教に厳格な人々に、「仏教の焼香」や「神道の玉串奉納」をして頂くのは、とても失礼なことかもしれません。

「お別れ会」は無宗教ですから、だれにも迷惑をかけずにすみます。

 そして、故人を偲び、会葬者どうしで思い出を語り合えるのが、何よりの利点と思われます。

 

思い出話は何よりの供養

「お別れ会」「偲ぶ会」は、社葬の代わりだけではありません。

家族だけで葬儀を行い、野辺送りを済ませた後で、親戚や友人を招いて「お別れ会」を催す人が増えています。

 

愛する者の死は、耐え難いほど大きなショックを与えます。

他人を交えず、家族だけで葬儀を行う方が、余分な気を遣わずにすみます。遠慮しないで泣きわめくこともできます。泣くことで悲しみを和らげるのです。

しばらくしてショックが収まりかけると、お別れ会や偲ぶ会について考えられるようになります。不幸を親戚や友人に伝え、死者の魂を慰めるのです。

 

お別れの会は、寺院や葬斎場で行う葬儀のように形式張ったものではありません。

ホテルの個室を借りてもいいし、レストランや料亭で行うこともできます。おいしい食事をしながら、思い出話をすればいいのです。

 

私の母の時も、大叔父の時も、家族葬から1ヶ月ほどしてお別れ会を催しました。ふだん会えない親戚と久しぶりに顔を合わせ、個人の思い出話より先に、最近の暮らしの情報交換が盛んに行われます。

和気あいあいとした雰囲気の中で食事が始まると、話は自然に個人の思い出になりました。「あんたのお母さんは、若い頃、美人だった」とか「○○さんは中学から高校まで首席を通した」とか、「お母さんは気が強くて、喧嘩早い」とか「○○さんは音痴だった」とか、いい話も悪い話も尽きることがありません。

思い出話を聞いて、遺族達は故人の思いがけない一面を知ることもあるでしょう。悲しみがこみ上げてくることもあれば、心が癒されることもあります。

 

メーテルリンクの「青い鳥」という物語の中に「思い出の国」が出てきます。

「思い出して話し合ってもらうことが、何よりうれしい」と、亡くなったお祖父さんやお祖母さんが語ります。

外国の葬儀では、会葬者がそれぞれ故人の思い出を語ることが多いようです。

思い出を語れば、故人は、遺族や親族、知人達の心の中によみがえります。故人は無になるのではなく、遺族の心の中で生き続けるのです。

 

形式にとらわれない供養

世の中がグローバル化して、価値観も多様になっています。

無神論者や無宗教という人もいれば、信仰心をますます厚くする人もいます。

仏教や日本神道、キリスト教のプロテスタントやカソリックのように、従来から知られている宗教に加えて、海外から入ってくる宗教もあります。新宗教というものもあります。

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今までは、葬式というと「お寺さん」が一般的でした。次いで、神道で行うことが多く、キリスト教という人もいました。

結婚式が多様化したように、葬儀も既存の形式ばかりではなくなっています。

故人の意思や信仰を尊重すると、新しい形の供養をすることになるのでしょう。

その一例が、お別れ会や偲ぶ会なのです。

 

既存の宗教にとらわれないとなると、供養の仕方もさまざまになります。

何よりも故人の意思に沿うことが大事ですから、遺族は故人を偲びながら工夫を凝らします。そのことで、故人への思いを整理し、悲しみを乗り越えていくこともできます。

葬儀は死者への供養であるとともに、遺族の苦悩を和らげるものなのです。

形式にとらわれない、真心をこめた供養こそ、死者の魂を鎮め、遺族の悲しみをはらいます。

 

ただ、新しい形式の供養は、いいことばかりではありません。特に、代々の菩提寺がある場合、お寺さんとの話合いが大事です。

宗教に無関係の霊園であれば、悩むことなく、故人の希望通りに送ってあげることができます。

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。