変化する現代の供養(後編)

2016/01/25

葬儀が多様化すれば、その後の供養の仕方も変わってきます。

一族が同じ土地にかたまって住む時代から、日本国内はおろか海外にまで広がって暮らす世の中になると、お墓の守り方も違ってきます。

 

納骨しないで、その代わりに・・・

葬儀が多様化すると、必ずしも菩提寺の僧侶に葬式を行ってもらうとは限りません。

僧侶の読経も神主の祭詞もなしで、音楽を流し、会葬者は献花するだけという「音楽葬」もありますし、家族だけで火葬場で別れを告げる「家族葬」もあります。

故人の希望に沿うことが、何よりの供養になります。

 しかし、そうなると、菩提寺の墓に納骨できないこともあります。

 また、父母の代に故郷を離れたので、「現在住む土地に菩提寺も墓もない」という人が少なくありません。

仕事の関係で、家族とともに海外を転々とする人もいれば、海外に移住してしまう人もいます。お墓があっても、守っていくことが難しくなります。

 父母の死に直面して、墓地を探す人もいますが、最近は、墓に納骨する代わりに、海や山に散骨する人も増えています。

 「散骨」とは、火葬した遺体(遺骨)を粉にして、海や山、森林に直接撒き散らす葬送のことです。

「散骨が節度をもって行われる」限り、刑法190条の「死体遺棄」に抵触する心配はありません。

ただし、陸地でむやみやたらに散骨すると、近隣の農家や牧場に迷惑をかけることもあるので、葬儀社などと相談して、散骨する方が無難です。

 

水に、土に、戻る

生命の起源は水中です。

原始の海の中で生命が誕生しました。海中の生命は進化して陸に上がり、多種多様の生物に枝分かれしていきました。

「死んだら、海に散骨してほしい」と望む人が多いのも、当然なのでしょう。

広い海に散骨してもらうのは、母親の懐に帰るようなものです。また、撒いた骨粉が新しい生命の誕生につながるかもしれません。そう思うと、永遠の生命連鎖の中で生きられるように思われて、死の恐怖も薄らぎます。

 遺族は船やヘリコプターに乗って散骨します。

大海原をクルーズすれば、海風が悲しみを吹き飛ばしてくれるでしょう。

クルーズは家族だけで行うこともできますし、何家族かいっしょに行うこともあります。

ヘリコプターで空中散歩をしながら、散骨するのもロマンがあります。

海が遺骨を抱くと、故人の魂は風に乗って大空を昇っていきます。遺族の悲しみも、青空が吸い取ってくれるでしょう。

 「土から出でしものは、土に帰る」といいます。

昔は、日本でも土葬でしたから、遺体は土に帰るのが当り前でした。

故人が希望するならば、散骨して土に帰すのも、いいでしょう。

 散骨するのは、国有林か私有林になります。農地や人家の近くでは、トラブルが起きやすくなります。

 国有林に散骨する場合、特に役所に申請する必要はありません。国有林を害する行為でなければ、黙認してもらえるようです。散骨する時に、樹木や下草を損傷しないように気をつければいいのです。

故人の好きな山や景色が見える国有林に散骨すれば、いい供養になります。

 個人所有の山林に散骨する場合は、所有者が知人であれば、謝礼を払って散骨させてもらいます。あるいは、十万円ほど出して、山林の一部を購入する方法もあります。

 葬儀社などに相談すれば、散骨を引き受けてくれる山林が見つかります。中には、宗教法人が所有している山林もあります。散骨した後で植樹してくれるところもあります。

 私は、正直に言うと、暗いせまいお墓に入りたいとは思いません。

できれば、桜の森に散骨してほしいものです。桜の森の土に溶け、来る春ごとに桜の花を咲かせましょう。

あるいは、散骨した後に桜の苗木を植えて下さい。土に帰り、桜の木を育てていきましょう。根を張り、枝を広げ、たわむほどに花をつけましょう。

私も桜の花になれるかもしれません。

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ダイヤモンドは永遠に

アメリカで始まったようですが、遺骨をダイヤモンドに加工することができます。

遺骨でダイヤのペンダントやイヤリング、指輪を造り、いつも身に着けていれば、永遠に故人とともにいられます。

男性はネクタイピンにしてもいいですし、ダイヤにしただけで財布などに入れておくのもいいですね。

遺族の人数分、ダイヤモンドに加工しますから、それをどうしようと、個人の自由です。

 ダイヤモンドにすれば、遺族が海外に転勤しようと、移住しようと、お墓のことを心配しないですみます。

故人はいつも家族といっしょですから、忘れられることはありません。折りにふれて思い出話をして、故人を偲ぶことも容易です。

 愛する者との別れほどつらいものはありません。

遺骨をダイヤモンドにして手元に置けば、別れの悲しみも少しは和らぐでしょう。これも、新しい供養の仕方の1つです。

 その人の最期の希望を実現することが、何よりの供養になりますから、葬儀も埋葬も希望通りに行ってあげてほしいと思います。

宗教にこだわらない霊園も増えています。菩提寺の墓地に納骨できなくても、新しい墓を造ることも、納骨堂に納めることもできます。

海や山に散骨したり、ダイヤモンドに加工したりすることも、供養です。

 時代とともに生活の仕方も変わります。価値観も変わります。

ですが、死の恐怖と別離の悲しみは、太古の昔から少しも変わっていません。それを和らげるのが、葬儀や供養なのです。

どのような形であれ、真心こめて供養をすれば、故人は遺族の心の中に永遠に生き続けるのです。

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。