京都の老舗に嫁入り 舅の介護と文化の違いに翻弄され…【前編】

2016/02/04

ぶぶ漬けでも、どうどす?

Hさんと夫は娘のMちゃんを大事に育てました。

幼稚園から大学まで続く私立学校に入れ、学業だけでなく情操教育にも力を入れました。Mちゃんは両親の愛情を受けてのびのびと育ち、自分の意見ははっきり述べますが、常に相手を思いやる気持ちを忘れません。

Mちゃんは大学を卒業して、音楽関係の出版社へ勤めました。子供の頃からピアノやギターが得意だったせいでしょう。

勤めて3年目に、Mちゃんは同僚のB君を自宅に連れて来ました。

B君は京都生まれで、Mちゃんより2歳上です。「結婚を前提として交際している」と言われ、Hさん夫婦は「ついに、Mちゃんの巣立ちの日が来たか!」と覚悟しました。

1年後、MちゃんとB君は結婚しました。

B君は出版社勤務を続けますが、いずれは京都に帰って家業を継ぐ予定です。

B君の生家は老舗紙問屋ですが、音楽好きのB君が我を通して、東京で就職しました。

「京都の老舗にお嫁にやると、Mちゃんが苦労するわよ」

Hさんの友人達はこぞって反対しました。

「京都の人は、お腹(なか)と口先がちがうんだから」

「京のぶぶ漬け」という習慣があります。

訪問先で長居をすると、「ぶぶ漬けでもどうどす?」と、言われます。

「ぶぶ漬け」は「簡単な食事」の意味です。言われたら、「えらい長居してすんまへん」と、早々に帰るのが礼儀です。間違っても「ありがとうございます。頂きます」などと言ってはいけません。無作法です。

「もう夕飯時や。早ぉ帰っておくれやす」とは、客に言えませんから、「ぶぶ漬け」を勧めて、食事時になっていることを知らせるのです。

千年の都で暮らす人々の、優雅な知恵と言えます。

この他にも、「座布団を上がり框から半分垂らして出された時は、座ってはいけない」など、昔からの礼儀作法があります。こうした作法や習慣を知らないと、「京都の人は難しい」と、言うことになります。

2128e05a00ed260815823422a88bb1a6_s

 

舅が倒れた

B君は、なかなか京都に戻る決心がつきませんでした。仕事が面白くてたまりません。Mちゃんも同じ出版社で働き続けました。

結婚3年目に長女が誕生し、2年後に長男が誕生しました。

京都の両親は、孫の顔を見に上京する度に、B君に「早く帰って来い」と言います。

Mちゃんは子供を保育園に預けて、仕事を続けました。Hさんも子供達を預かったり、家事を手伝ったり、Mちゃんを助けました。

結婚して10年目に、B君の父親が脳梗塞で倒れました。

B君は出版社を辞め、京都へ帰って父親の会社を継ぐことになりました。もちろん、Mちゃんも子供を連れてついて行きました。

Mちゃんは落ち着いたら、仕事を探すつもりでした。長女は来春から小学校ですし、長男も幼稚園の年中組になります。学童保育を利用したり、姑の助けを借りたりすれば、働き続けることは難しくありません。

しかし、姑は大反対しました。

姑は、Mちゃんに「内助の功」を期待していました。江戸時代から続く紙問屋ですから、株式会社組織になっていても、古いしきたりが沢山残っています。

京都の古い商家としてのしきたりや習慣もあります。「若社長」になったBさんの妻として、家庭内でする仕事が山ほどありました。

しかも、舅の状態は、予想以上に悪いものでした。

少し良くなったかと思うと、脳梗塞が再発し、半身不随で、ほとんど寝たきりになりました。病院に入院している間は、Mちゃんも、それほど苦労しませんでした。こまめに見舞っていれば、用は足りました。

しかし、退院して自宅に帰って来ると、Mちゃんは休む暇もなくなりました。

 

介護のための嫁

東京と京都、わずか2時間半で行き来できる距離なのに、風俗習慣のちがいが大きいのです。

Mちゃんは、姑の京都弁に慣れるのに苦労しました。「ほかす」が「捨てる」、

「直す」が「しまう」とわかるまでは、とまどうばかりです。

舅は脳梗塞で口が不自由になり、言葉がはっきりしません。しかも京都弁ですから、Mちゃんは、舅が何を言っているのか、よく聞き取れません。舅は癇癪を起こし、姑はMちゃんを叱ります。

姑は遠廻しにやんわり小言を言うので、Mちゃんには理解できないこともあります。姑もMちゃんもイライラしますが、どうしようもありません。

姑は何かにつけて、「これは嫁の務めやさかい・・・」と言います。

Mちゃんにすれば、嫁の務めとは「夫と協力していい家庭を築き、子供達をきちんと育て上げること」です。

「舅の介護が嫌だ」と言うのではありませんが、もう少し他の人の手を借りてもいいように思われます。B君の2人の姉妹は、ちょくちょく見舞いに来ても、Mちゃんや姑を手伝うことはありません。「他人を家の中に入れたくない」から、ヘルパーさんも頼みません。

舅の介護や家事全般を、Mちゃんと姑の2人でするのです。

そして、姑が駅で転倒し、大腿骨を折りました。

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。