嵐のような看取りの果てに

2016/02/12

身近な家族を送り出すときには、看取り、通夜・葬式の準備、事後の手続きなどが色々あって悲しんでいる暇がない、とよく言われます。十年前に両親を亡くした友人女性も、あの頃は本当に嵐のようだった、今振り返ってみると、もう少し悲しむことができれば良かったと言います。

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母が入院している矢先に…

私の友人は30歳で父を亡くしました。母が肺がんで入院し余命1年と宣告され、大きなショックを受けている最中に、父が体調を崩して入院。検査をしたところ胃がんが見つかりました。父は母と別の病院に入院したので、看病は2倍に。結婚して社員として働いていた彼女は、家事と仕事と看病と、必死になって走り続けました。

 母の容態の方が悪く転移もしていたため、看病の比重は父よりも母に傾いてしまった、もう少し何とかできなかっただろうか、と今でも思う、と。父のがんは進行が早く、3か月で亡くなってしまった、と言います。もっと父の病院に足を運べばよかった、と。父が亡くなる前後は丁度母の転移が見つかり転院が必要になって、ほうぼう駆けまわっていたそうです。

 

健康保険の手続きが最優先

お葬式までは兄が喪主となってなんとか出したものの、その後の役所関係の手続きは、両親の隣市に住んでいる友人が全て引き受けることになりました。といっても平日は仕事があるため、手続きだけに半日有給休暇を取らねばなりません。

 彼女が父を看取った後、すぐに手続きが必要だったのが、健康保険に関する手続きでした。父の健康保険は死亡によって翌日に失効するため、扶養として入っていた母も資格を失います。そのため母は国民健康保険に新たに加入をしないと医療費は全額自己負担となってしまいます。そのため、父が死亡した翌日から14日以内に母の国民健康保険の手続きをしないといけなかったのでした。

 ところがその際に必要な書類がなかなか父の会社から送られてきません。彼女も母の転院や諸手続きに追われているうちに、期限が目前となってしまったのでした。「あの時は切羽詰まっていて、役所に電話を1本入れて話を聞くとかそういうことも思い至らなかったんだよね、1人で焦っていたよ」。結果的には無事に加入できたのですが、無駄なエネルギーを使ってしまった、あのエネルギーを母に注げたら…と今にして思う、と。

 そう振り返っていましたが、「でもやっぱりあれ以上のことは無理だったと思う。自分で言うのも何だけどよくやったって。でもそう思えるまでに10年かかった」と友人は噛みしめるように言いました。

この記事を書いたライター

本間 純子
本間 純子

「色々なことがあったけれど、悪くない人生だった」と要介護の父、持病がある母に思ってもらえれば。そう願って、時には激烈なケンカをしながら一緒に暮らしています。
老いや病気はきれいごとでは済まないこともありますよね。それでも前に進んでいかなければなりません。人生の先輩方や支える家族の方々が、できるだけ元気で楽に暮らせるような情報をお伝えできればと思います。
どうぞよろしくお願いします。