ホスピスで穏やかに逝った繊維業界の生き字引

2016/02/18

最期をホスピスで迎えた紳士がいました。

延命治療を拒否し、眠ったまま亡くなりました。

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癌になっても、頭脳明晰

B氏は、子供の頃から秀才でした。

一高・東大という戦前のエリートコースを進み、戦後は繊維関係の商社に勤めました。高度成長の波に乗り、商社の規模が大きくなるとともに出世して、取締役副社長に就任しました。

繊維業界ではかなり有名な男で、本社を定年退職した後は、子会社の社長・相談役・顧問として活躍し、70歳を過ぎても仕事から離れられませんでした。

80歳近くで肺癌を発症し、ようやく完全にリタイアすることになりました。

肺癌はSTAGEⅢまで進行していたので、手術と放射線療法・化学療法を併用しました。B氏は小康状態を得て退院しましたが、再発の可能性が残りました。

 B氏は数年前に夫人を亡くして、独り暮らしでした。2人の娘は結婚していましたが、どちらもB氏の近所に住んでいました。娘夫婦は同居を勧めましたが、B氏は退院後も独り暮らしを続けました。

病院でも、B氏は独りで医師と話し合い、治療法を決めました。肺癌告知も、B氏は冷静に受け止めたようです。

 B氏は、若い頃、大学院に進学して文学者になるつもりでした。戦争で生家が没落したため、研究生活を諦めたのです。

退院すると、暇な時間を利用して本を読み漁りました。勉強し直して、断念した研究を再開しようとしました。

B氏は「繊維業界の生き字引」と言われたほどで、その知識を当てにする後輩が絶えません。そこで、B氏は知識を後輩に伝えるべく、執筆活動も始めました。

 癌がからだのあちこちで増殖を始めるまでの2年間、B氏は本に埋もれて過ごしました。

 

ホスピスでも、お勉強

肺癌の再発で、B氏は再び入院して治療を受けることになりましたが、完治する見込みはほとんどありません。治療法も限られていました。

B氏は主治医と相談して、途中からホスピスに転院しました。

 B氏は延命治療を望みませんでした。

ただ、「苦しいのや痛いのは、ごめんだ」と言い、ホスピスを選びました。ホスピスでは積極的な治療や延命治療を行いません。患者の心身の苦痛を和らげることを第一としていますから、B氏には最適に思われたのでしょう。

娘達は自分の家で療養するように誘いましたが、B氏は「迷惑をかけたくない」の一点張りでした。

「人間は独りで生まれ、独りで死ぬ。それでいい」と、言うのです。

 娘達夫婦と孫達は、交替で毎日見舞いに行きました。

ある日、孫娘の1人が「卒論が上手く書けない」とぐちをこぼしました。すると、B氏は「お祖父ちゃんが手伝ってやる」と言い出しました。

卒論テーマが「平家物語」と知ると、孫娘に平家物語全巻と時代背景となる歴史の本を買って来させました。ホスピスのベッドの上で、B氏は平家物語の勉強を始めました。

時代背景を整理してノートを取り、主要テーマについて小論文をまとめました。「お祖父ちゃんのお手伝い」で、孫娘は卒論を完成することができました。

「いくつになっても勉強するのは面白い」

B氏は上機嫌でした。

80歳を超えても、B氏の頭脳は衰えませんでした。

ホスピスで読んだのは、平家物語関連だけではありませんでした。推理小説から哲学書まで、興味をひかれた分野の本を次々と読みました。

 B氏の入院したホスピスはキリスト教系でしたから、毎日のように牧師さんが見舞いに訪れます。

B氏は特に信仰を持っているわけではありませんが、菩提寺は浄土真宗です。牧師さんが訪れると、宗教論を戦わせるようになりました。聖書やキリスト教系の本を読み、ついでにユダヤ教からイスラム教まで手を広げました。

牧師さんはB氏の知識に感心しながら、しんぼう強く相手をしてくれました。

 看護師さん達もB氏に親切でした。

B氏の話を面白がって聞いてくれました。わからないことがあると、「Bさんに聞いてみよう」と言って、B氏を喜ばせました。

 やがて、本を読むこともつらくなり、うつらうつらと眠って過ごす時間が多くなりました。桜が散り、藤が咲き、新緑が日毎に深まる頃、B氏は眠ったまま、世を去りました。

苦痛の跡もなく、穏やかな顔でした。

 

最期までプライド高く

B氏のように老いても頭脳明晰な場合、いい面と悪い面があります。

頭がはっきりしていますから、病状をごまかすことができません。ことに、放射線療法や化学療法など副作用の強い、苦痛の大きい治療を施すには、患者本人の協力が必要不可欠です。病状を明確にして、患者の了解を求めます。

自分の余命を知るのは、どんなにしっかりした人でもつらいことです。家族や医師に、うまくぼやかして話してもらう方が気楽です。

 しかし、頭がはっきりしていれば、どのような最期を迎えるか、自分で選択することができます。

自宅で独り暮らしを続けるか、子供達と同居するか、ホスピスや介護施設に入るか、自分の意志で決められます。

癌や心臓病、脳梗塞などの重病の場合、独り暮らしは危険すぎます。

子供と同居して迷惑をかけるのが嫌ならば、ホスピスか介護施設に入るしかありません。病気の状態にもよりますが、癌のように苦痛の激しい病気はホスピスが最適です。

 また、頭がはっきりしていると、死期が近づくのもわかります。死の恐怖を逃れることはできません。

ホスピスは心のケアもしてくれますから、少しは気持ちが楽になるでしょう。

だれでも、最期は平穏に迎えたいと望むはずです。

 B氏は「子供達に迷惑をかけなかった」「最期まで人の役に立った」という満足感を得て、プライド高く、世を去ることができました。「頭のいいお祖父ちゃん」のイメージを損なうこともなく、家族は、今もB氏を誇りにしています。

B氏らしい最期だったと思います。 

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。