介護の果てに法廷闘争【前編】

2016/03/07

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内気な娘

Gさんは中堅製薬会社の社長令嬢でした。

4人兄弟姉妹の一番上で、すぐ下に妹が2人、末に弟が1人いました。

Gさんは幼い頃から極端に内気でした。

人見知りが激しく、すぐ母親の背中に隠れました。小学生になっても恥ずかしがりやで、家族以外とはろくに口も利きません。

小学校から高校まで一貫教育の私立女子校に通いました。学校への往復は運転手付きの自家用車で、小学生の間はお手伝いさんが付き添いました。

 高校卒業後は家事見習いをしながら、いろいろなお稽古事に励みました。

女子校なので、先生もほとんど女性でした。友達は、もちろん、全員女性です。お茶もお花も仕舞も、お稽古事はすべて女性の先生に自宅に来てもらいました。母親や姉妹と一緒でなければ、家の外に出られないのです。

 Gさんは、対人恐怖症、とりわけ男性恐怖症に近かったのかもしれません。

30歳を過ぎると、ようやく独りで外出できるようになりましたが、行き先は限られていました。稽古事も、先生に来てもらうのではなく、稽古場や教室へ出かけて行けるようになりました。

でも、全く平気になったわけではありません。

お茶の教室でお点前をしている時、見知らぬ男性が入って来たことがあります。和菓子屋の番頭が、先生とお茶事の打合せに来たのですが、Gさんは、怖くて泣き出してしまいました。

 Gさんは結婚など考えもせず、妹達が嫁入りした後も、両親と暮らしました。

 

やり手の母親

Gさんの父親は長男に会社を譲り、悠々自適の生活に入りましたが、心筋梗塞で亡くなりました。長男(Gさんの弟)は学者肌で、経営者より研究者に向いていました。大手製薬会社から吸収合併を提案されると、あっさり応じました。

 Gさんの母親は反対しませんでした。母親は、吸収合併により大手製薬会社の大株主になる方が得と判断したのです。

 Gさんの母親は、なかなかのやり手で、経済感覚に優れていました。

広大な邸宅は土地も建物も母親の名義です。維持費ばかりかかるので、マンションに建て替えました。一部を自分達の住居にして、残りを賃貸にしました。自分達の居住部分と賃貸部分を完全に分離したので、借室人と顔を合わせることもありません。

4階5階に母親とGさん、2階3階にGさんの弟一家が住み、1階は駐車場と物置です。

 マンションの賃貸料と株の配当金で、母親は何不自由なく暮らすことができました。Gさんには好きなお稽古事を続けさせました。

 Gさんの母親は、中年の頃から太り始め、70歳を過ぎると膝を悪くしました。外出する時は、いつもGさんがついて行くようになりました。母親の足は年々悪化して、杖なしでは歩けなくなり、時には車椅子を使いました。

家の中でも外でも、母親はGさんを頼るようになりました。

 Gさんは小柄で痩せています。大柄で肥満体の母親の介助をするのは、Gさんにとっては重労働です。でも、Gさんは影のように母親に寄り添い、妹達や弟の嫁の手を借りようともしませんでした。

 

還暦過ぎても、娘は娘

Gさんの母親は京都が大好きでした。

足が悪くなっても、旅行を諦めたりはしません。春の桜、夏の大文字、秋の紅葉、冬の雪景色と、毎年、四季折々に京都を訪れました。もちろん、いつもGさんと一緒です。Gさんも母親との京都旅行を楽しみにしていました。

母親の療治のために、温泉にもよく行きました。

 旅先では見知らぬ人に出会います。でも、母親と一緒なら、Gさんはがまんできました。足の悪い母親の大きな背中に隠れていれば、安心できるのです。

 Gさんの母親は、娘が心配でたまりません。

 (私が死んだら、この娘はどうするだろう?独りで生きていけるだろうか?)

Gさんは60歳を過ぎても、顔つきも着ている物も雰囲気も、娘のままです。

母親の介助を一手に引き受けながら、母親に頼りきっています。

 母親は決心しました。

精神面はどうしてやることもできませんが、生活だけは保障してやれます。母親は弁護士に相談して、株や預金を少しずつGさん名義に変えました。公正証書遺言を作り、マンションの土地・建物をGさんに遺すことにしました。

Gさんの2人の妹は、それぞれ立派な夫がいて、裕福に暮らしています。多少の現金を遺してやれば、いいでしょう。Gさんの弟には、今住んでいるフロアを遺贈することにしました。そうすれば、弟夫婦がGさんの面倒を見てくれます。

 母親はついに立つことも難しくなりました。

Gさんはケアマネージャーやヘルパーさんの力を借りながらも、ほとんど独りで母親の介護をしました。介護をしながら、母親にすがりついていました。

半ば寝たきりになった母親は、Gさんの行き届いた看護を喜びながら、娘の将来を案じ続けました。

 母親は眠ったまま亡くなりました。享年92歳。

Gさんは古希(70歳)を迎えていました。 

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。