介護の果てに法廷闘争【後編】

2016/03/08

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遺産は公平に分けましょう

母親が亡くなると、Gさんは気が抜けたようになりました。

もう夜中に起こされることもなく、腰痛に耐えながら、母親の巨体を支えることもありません。でも、Gさんは唯一の庇護者を失ってしまったのです。

 弟が取り仕切って無事に葬儀を済ませ、いよいよ形見分けや遺産相続になりました。

遺言執行人の弁護士が公正証書遺言を遺族全員に開示しました。

賃貸マンションの土地・建物はGさんに、住居部分の土地・建物はGさんと弟に遺贈されました。出版社の持ち株などは、すでにGさんの名義になっていました。その他の株式や預貯金は、四人で分けるようにしてあります。

 2人の妹は激怒しました。「不公平だ」と言うのです。

G姉さんは、全財産を独り占めするようなものじゃないの」

「G姉さんが独りでお母さんの介護をしたと言うけれど、当然でしょ。何から何までお母さんに面倒を見てもらって、好きなように暮らしていたんだから」

妹達の夫も、「自宅もマンションも、お母さん名義の財産は、すべて4人で公平に分けるべきだ」と主張します。

「土地・建物を売却して、売却代金を4等分しよう」と言うのです。

 

法廷闘争へ

Gさんは呆然としました。

Gさんと2人の妹は、とても仲のいい姉妹でした。妹達は内気な姉をかばい、観劇や買物に連れ出したり、誕生パーティを開いたりしてくれたものでした。

それが、敵対心をむき出しにしてGさんを責め立てますから、Gさんは恐ろしいやら、悲しいやら、返す言葉もありません。

 末の弟だけがGさんの味方でした。

しかし、妹達にすれば、「弟はG姉さんと同居していれば、遺産のおこぼれに与(あずか)れる」のです。Gさんをうまく説得すれば、土地・建物を弟の子供が相続できるかもしれません。Gさんは弟の2人の子供達を可愛がっています。

 Gさんは今まで1度も働いた経験がありません。

お茶もお花も仕舞も、師範の資格を持っていますが、他人に教えることなど、考えただけで気が遠くなります。70歳を過ぎても、Gさんは独りでタクシーに乗れません。運転手さんに行き先を告げたり、道を教えたりすることが、どうしてもできないのです。

このようなGさんが独りでも生きていかれるように、母親は財産を遺しました。妹達もその夫達も、よくわかっていながら、欲が先に立ちます。

 妹達は弁護士を頼んで、遺言書に異議を唱えました。内容証明郵便で「遺留分請求」をGさんと弟に送付したのです。

Gさんは胸のつぶれるような思いでしたが、弟にすべて任せるしかありません。弟も弁護士を立てて対応しました。

双方の弁護士は話合いを続けましたが、満足する結論が出ません。

 ついに、妹達は家庭裁判所に「遺留分減殺請求」の申立てを行いました。

 母親の遺産は、女3人と男1人の4人の子供達に相続する権利があります。

法定相続分は遺産の4分の1ですが、遺言書がある場合でも法定遺留分として、法定相続分の2分の1、つまり8分の1を相続する権利が保障されます。

それをGさんと弟が遺留分を越えた多額の遺産を相続するので、2人の妹は「遺留分の権利が侵害されている」ことになります。それで、「遺留分減殺請求」をして、自分の権利分を確保しようとするのです。

家庭裁判所への申立ては、相続開始から10年以内、相続開始を知ってから1年以内に行わねばなりません。

 

解決できたものの、家族は崩壊

家庭裁判所では、まず調停を行います。

家庭裁判所が選んだ調停委員が、双方の言い分を聞きます。申立てをする時は、被相続人の財産目録を提出する必要があります。

調停委員は財産目録や双方の言い分を参考にして、調停案を提示します。

しかし、妹達も弟も、調停案には不満でした。

 そこで、家庭裁判所の審判を受けることになりました。

 家庭裁判所の調停や審判は、時間がかかります。

幸い、Gさんには、母から贈与された預金や株の配当金があるので、生活には困りませんでした。

しかし、妹達からの電話もなくなり、可愛がっていた姪や甥とも会えません。

Gさんの寂しさはつのり、血圧が上昇して体調を悪くしました。 

ついに審判が下り、妹達はマンションの土地の一部をGさんと共有することになりました。建物はGさんの所有が認められて、Gさんは賃貸料を受け取ることができます。

住居と生活費が確保できたので、Gさんの生活は安泰ですが、妹達との仲は修復できませんでした。

 Gさんは80歳を越えました。

母親の思い出だけを頼りに、寂しい日々を過ごしています。

 人はいろいろな思いをこめて遺言書を作ります。

感謝や心配、愛情など、遺族への最期のメッセージかもしれません。よほど生活に困らない限り、亡くなった人の意思を尊重したいものです。 

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。