余命わずかと知りながら、介護する日々

2016/03/10

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「もって、後○○」と、お医者さんから余命を告げられるほど、つらいことはありません。

毎日の介護に疲れ果てていても、余命を知るショックは大きすぎます。

余命をしりながら、どう介護していけば、いいのでしょう?

本人には、余命を告げるべきなのでしょうか?

 

余命宣告を本人に告げるべきか?

「今年いっぱいと、思ってください」

「あと半年、もつかどうか、わかりません」

「これ以上、手の打ちようがありません。覚悟してください」

言い方はちがいますが、親の介護をする時、いつかは、必ず聞く言葉です。

 介護する家族は覚悟しているはずですが、やはり直面するとうろたえてしまいます。

「残る月日で、何ができるだろうか?」

「何をしてあげたら、いいのだろう?」

そればかり考えて、頭の中が沸き立つようになります。

 

 次に考えることは、「本人に知らせるべきか?」ということです。

「癌の告知」などより「余命宣告」はショックが大きいと思われます。

 癌を告知する場合、医師は患者の性格を見て、言葉を選ぶようです。

性格的に弱くて、「癌」と聞いただけで絶望してしまう人もいます。「まだ死にたくない」「死んでたまるか」と、がむしゃらに生にしがみつく人もいます。

「生きる希望」を失えば、余命1年が半年になることもあります。生に執着して、余命半年を1年に延ばす人もいます。

「真実を告げればいい」というものではありません。

 癌だけではなく、肝臓病でも心臓疾患でも糖尿病でも、闘病は、本人の「治そう」という意志が必要不可欠です。患者本人に病気と闘ってもらうためには、

「何の病気にかかり、どんな状態なのか」を知ってもらわなくてはなりません。

ですから、癌の患者さんには「○○癌です。stage○なので手術が必要です」

あるいは「stage○なので、放射線治療と化学療法を行います」と告げます。

しかし、ここからが大事なところです。医師は、家族には「stage4なので、完治する見込みはありません」と、正直に告げたとしても、患者本人には「手術をして摘出してしまえば、元気になりますよ」「化学療法はつらいけれど、効果があります」と、言ってほしいのです。

先に望みがあれば、人はがんばれるものです。生へ執着できます。

 

どの病気でも同じです。

私は、患者本人には、余命を告げない方がいいと思います。

それでなくても、病んでいる高齢者は「死が近い」ことを意識しています。「いつかは、これ以上の治療法がないと言われる」ことを、わかっています。

わかっていても、「まだまだ、なんとか生きられる」と思って頑張るのです。

それを「余命○○」と告げられたら、生きる気力もなくなります。

 

終末をどこで迎えるか?

余命を知りながら介護していると、親をだますように思えることがあります。

でも、決して罪悪感を覚えることはありません。親は「いつ死んでもいい」と言いながら、「自分の死ぬ時期」など知りたくはないのです。

 ただ、余命宣告をされたら、「終末をどこで迎えるか?」を考えなくてはなりません。

・自宅で介護を受ける

・介護療養型老人保健施設や特養老人ホームなど、施設に入る

・医療療養病床などのある病院に入る

・ホスピス(終末期医療専門病院)に入る

このようにいくつか、選択肢があります。

 

寝たきりでなく、家族との会話も楽しめるようなら、ぎりぎりまで自宅で療養を続けるといいでしょう。

患者本人も平常心でいられますし、介護する家族も「できるだけの世話をした」という満足感を得られ、後で悔やむことがあまりありません。

しかし、認知症などの病気が進行して寝たきりになったならば、施設に入ることも必要です。

「余命わずか」と知っていても、介護という重労働におしひしがれて、「早く終りにしたい」などと願うこともあります。ちらりとでも思えば、亡くなった後の自己嫌悪は耐え難いものになります。

後悔しないためにも、最期まで快適に過ごしてもらうためにも、施設を選択するのも、いいことです。

病状によっては、病院に入るのがベターかもしれません。

癌など激痛をともなう病気や、いつ容体が急変するかわからない心臓疾患や脳疾患などは、病院に入って医師や看護師に任せる方が安心できます。

ホスピスは終末期治療を専門に行う病院で、キリスト教系が多いようです。もちろん、宗教とは無縁のホスピスもあります。

終末期治療は、患者さんの苦痛の緩和を第一に考えます。

癌でも認知症でも、終末期には多臓器不全を起こし、回復の見込みはありません。そこで、病気の回復や遅延のための治療は行わず、延命治療もしません。

患者さんの精神的・肉体的苦痛を取りのぞくように努め、平穏に安楽に人生の終末を迎えられるようにします。

つらい延命治療を受けなくて済むので、余命わずかな患者さんには適している病院です。

ただ「ホスピスに入る」となると、患者さんは「私も死期が近い」と考えます。生きる希望を失うかもしれません。

ホスピスの医師とよく相談して、「つらい治療をしなくていい」ことを強調するようにしてください。「この病院は、長く入院させてくれるから、安心だ」と言うのも、納得できる理由です。一般的に、今の病院は2週間程度しか入院させてくれませんから。

ホスピスでは、積極的な治療はいっさいしません。

もし、万に一つでも病状の改善の可能性があるならば、そのことをよく考えてから、ホスピスに入るか、一般病院で治療を受けるか、決めてください。たいていは、つらい治療になるので、患者本人の意志が最も大事です。 

私は、ある若い医師の言葉が忘れられません。

「治る可能性が30%しかないのではない。30%も可能性があるんだ」

「息を引き取る寸前に後悔しても遅いから、できるだけの治療をしよう」

後悔しないように、よく考えて選択してくださいね。

 

余命を知っているから、後悔しないですむ

余命をしりながら、介護を続けるのは、本当につらいものです。

もう30年前になりますが、私の父が進行性の大腸癌にかかりました。肝臓にも肺にも脊椎にも転移して、「余命半年」と宣告されました。手術は対症療法にすぎませんでした。

私達姉妹と母は、「大腸癌の手術は成功した」とウソをつき、体調不良は「輸血による肝臓機能の低下」と、ごまかしました。おかげで、父は1年近く自宅で過ごすことができました。

最後は病院に入りましたが、「正月は母と2人で、温泉で過ごす」と楽しみにして、私に宿屋を予約させました。「予約した」とウソをつきながら、涙が出そうになりました。

「退院したら、あれを喰いたい。これをしたい」と言いながら、モルヒネのおかげで眠ったまま亡くなりました。

母も私達姉妹も全力を尽くしたと思い、後悔はしませんでした。

5年前に母が亡くなりました。

食道癌の再発でしたが、化学療法が効いたのか進行が止まり、退院して自宅療養になりました。入院中に体力を失い、足腰が弱り、ほとんど寝たきりになりました。しかし、少しずつ快方に向かっていたので、余命のことなど考えもしませんでした。

突然、便秘が悪化して腹部にガスが溜まり、救急車で入院しました。心臓発作を起こし、運ばれて間もなく亡くなりました。予想もしないことでした。

亡くなった後、「ああしてあげればよかった」「こうしていればよかった」と、私と妹は後悔することばかりです。何かしてあげれば、「ありがとう」と言う母の笑顔を思い出すだけで、胸が痛みます。

余命を知っているから、いろいろなことをしてあげられるのです。余命がわかっているから、後悔しないようにできるのです。

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。