転倒からの認知症で…

2016/04/07

 

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だれのおかげで大きくなったの?

M先生は84歳、内科の女医さんでした。

結婚相手は精神科の医者で、大きな病院を経営していました。

でも、40歳にもならない若さで亡くなってしまいました。

M先生は38歳で院長に就任しました。

2人の息子を育てながら、患者を診て、病院を経営するのですから、寝る間も惜しむほどの忙しさでした。おかげで、M病院は大きく発展し、息子2人は医大に進学して医者になりました。

ふと気がつくと、M先生は65歳を過ぎていました。

息子達は2人ともM病院に勤務しています。それぞれ、いい相手を見つけて結婚しました。

M先生は趣味の乗馬に熱中するようになりました。郊外にある乗馬クラブに所属し、週に3回通いました。

買物も大好きです。とりわけ、着物と宝石に目がありません。

呉服屋に行けば、必ず1枚は買ってしまいます。気に入った着物があれば、1度に2枚3枚誂えることもあります。宝石店でも上得意です。

運転手付きのベンツで、あちこち出かけて行きました。

M先生は、2人の息子に不満を持ち始めました。

息子の妻達と、うまくいきません。長男の妻になかなか子供ができないので、愚痴めいたことを言うと、長男夫婦はM先生の家に寄りつかなくなりました。次男の妻も、年に1~2回、顔を見せるだけです。

しかも、息子達はM先生の病院経営に批判的で、口を出すようになりました。

M病院は総合病院で、精神科病棟もあります。精神科病棟は大きな収入源でしたが、法律が変わると、むしろ病院のお荷物になりました。

内科病棟も外科病棟も、法律改正で利益が激減し、病院経営が難しくなってきました。

息子達が経営改善を主張するのも、無理はありません。

息子達はM先生に引退をほのめかすことさえありました。

「M病院を大きくしたのは、私ですよ!あんた達が一人前の医者になれたのも、私のおかげじゃないの!余計な口を出さないでちょうだい」

M先生は息子達をどなりつけました。

 

すべった。転んだ。階段から落ちた。

78歳で、M先生は院長職を長男に譲りました。

息子達は医療法人の理事達と結託し、M先生を引退させたのです。

きっかけは、M先生が乗馬クラブで勧められて、乗馬1頭を購入したことでした。

2千万円近い高価な買物ですが、M先生は「自分のお金をどう使おうと自由だ」と思っています。しかし、「病院が大幅な経費節減を必要とする時に、院長が高額な浪費をするのは問題だ」と、息子達は主張しました。

M先生は顧問になり、給料も減らされました。

運転手付きのベンツもやめて、代わりにタクシーを使うようになりました。

M先生は大いに不満でしたが、理事会の決定には逆らえません。それに、減額された給料でも、遊びや買物に不自由はありません。タクシー会社と契約を結んだので、同じ運転手さんが来てくれます。出かける前に携帯電話で運転手さんを呼び出すのが、面倒なだけです。

院長の責任がなくなり、M先生は、買物や観劇、旅行と、気楽に遊び廻りました。乗馬は疲れるので、自分では乗りませんが、愛馬の顔だけ見に行きます。

どこへ行くのもタクシーで、すぐ近くでも歩きませんでした。

M先生は、よく転ぶようになりました。

友達に誘われて旅行に出かけ、駅のコンコースで転び、かぶっていたウィッグが脱げ落ちたこともあります。自宅を出たとたんに転び、頭を怪我したこともあります。

幸い骨折しなかったので、息子達には知られずにすみました。

若い頃から、家事は家政婦さん任せでした。

独り暮らしになっても、毎日、家政婦さんが通って来ます。もう10年にもなるので、お互いに気心も知れていました。

「家政婦さんが、お金を盗んだ」と、M先生は友人に訴えるようになりました。

友人が心配して次男さんに連絡すると、「そんな事実はない」と言われました。

M先生は、次男さんにも同じことを訴えていました。次男さんとは、長男さんより仲がよかったのです。

「疑われて、家政婦さんが怒っている。やめられて困るのは、お袋なのに」

次男さんは「認知症の初期症状」と考えているようでした。

そして、ある晩、M先生は自宅の2階から階段を転がり落ちました。

 

 

携帯電話も取り上げられて

翌朝、家政婦さんが来るまで、M先生は階段下に倒れたままでした。腰椎を傷めたようで、足を動かすこともできません。

すぐに救急車でM病院に運びました。

長男さんは、てきぱきと物事を処理しました。

M先生は顧問を解職されました。

乗馬クラブも脱退手続きを取り、愛馬は売られました。馬は生き物ですから、乗馬クラブに置いておくだけで、エサ代や管理費がかかるのです。

タクシー会社との契約も中止し、家政婦さんにも辞めてもらいました。

長男さんの診断では、M先生は二度と自宅に帰れません。認知症も始まっています。「退院したら、介護施設に入るのがベスト」なのです。

しかし、M先生は、何も知りません。

治療が効いて痛みが和らぐと、携帯電話でタクシー運転手さんや家政婦さんを呼び出して、あれこれ指図します。

「家に帰るから迎えに来て」「着替えを持って来て」「○○が食べたいから、すぐに買って来て」

困り果てた運転手さんと家政婦さんは、次男さんに相談しました。

しかし、次男さんは長男さんに話して、M先生から携帯電話を取り上げました。M先生は、だれにも連絡できなくなり、一時はパニックになりました。

今、M先生は、介護つき有料老人ホームにいます。

長男さんも次男さんも、2人の妻も、1度もM先生を訪れません。認知症が進行して何もわからないのが、幸いかもしれません。

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。