認知症の父を、見ているだけでつらい

2016/04/11

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「老いる」ということは、悲しいものです。

若い頃から俊秀の誉れ高かった人が、老いて衰えていく・・・

まして認知症にかかったりしたら、傍で見ているのもつらいでしょう。

自分の尊敬する父親であれば、なおさらです。

 

麒麟も老いては、駑馬に劣る

「俊足で知られる神獣の麒麟(きりん)も、年老いると、足の遅い駑馬(どば)にも劣る」と、言われるほど、「老い」は情容赦なく力を奪い盗ります。

現在の日本では「父親の権威は地に堕ちた」と言われ、戦前の父親のように厳然とした存在ではありません。しかし、「一家の大黒柱」であり、「頼れる存在」であることは、変わりません。

まして、今、父親の介護をする40~50代の人々は、子供の頃、「尊敬する人は、父です」と答えていたはずです。

介護される70歳以上の年代は、「尊敬する人」として、野口英世とかシュバイツァー博士とか偉人の名前を上げることが多かったのですが、だんだんに「尊敬する人は父母」という答が多くなりました。

その敬愛する父親が、アルツハイマー型認知症と診断されるのは、どれほど大きいショックなのか、言葉に尽くせません。

脳血管性認知症のように、ある日突然倒れ、生命は取りとめたものの、認知症になっていたということもあります。昨日まで、元気に、息子と議論を戦わせていた父親が、記憶もあいまいになり、今が何年何月何日なのかもわからなくなるのですから、ショックは絶大です。

しかし、これが「老いる」ということなのです。

池波正太郎の小説に「無敵を誇った剣客が年老いて隠棲し、若い剣客の挑戦を断りきれずに試合して、斬殺される」という話がありました。

私の恩師は、「東大屈指の知能」と言われた心理学者でしたが、パーキンソン病にかかり、最後は車椅子生活になりました。車椅子生活に入る前でしたが、学会か何かに出席する折り、「知能検査を受けるように」と言われました。

私達弟子は悔し涙を流しましたが、恩師は淡々と知能検査を受けました。「こういう病気で知能が低下する場合もあるから、しかたがない」と、言われました。

 

能力は、まだ残っている

脳内の血管障害(脳梗塞・脳出血など)が原因で起きる脳血管性認知症は、60歳以上の男性に多いと言われます。

アルツハイマー型認知症は、比較的女性に多く、ゆっくりと進行します。「年のせいか、もの忘れが激しくなった」と思っているうちに、「昨日のことも思い出せない」「時計が読めない」「簡単な作業ができない」という症状が出てきて、認知症と気づきます。

脳血管性認知症は、脳血管障害が起きるたびに、症状が段階的に進行します。

記憶障害よりも運動機能障害や感情障害が目立つようです。

「まだら認知症」と言われるように、記憶はあいまいでも、判断力はしっかりしているとか、できることと、できないことが混在します。症状は一進一退で、朝はボーッとしていて何もできないのに、昼過ぎには普通に会話できるというように、一日の中でも、症状が変わります。

突然の認知症でショックを受けているのに、このような症状の変化を見せられると、「介護する家族を馬鹿にしているのか?」「わざと、できない振りをしているのか?」と、疑いたくなります。

颯爽として、知的能力に富み、多くの人々から尊敬され、頼られていた父親が、無気力な表情で、着替えも独りでできないという状態を見るのは、子供として、本当につらいことです。傍で見ているのも耐えられないでしょう。

しかし、脳血管性認知症の場合は、投薬や食生活の改善、リハビリなどで進行を緩やかにしたり、症状を和らげる効果を期待できます。

また、初期では、患者本人が認知症を自覚しています。本人が一番情けなく思っています。知的能力より運動機能に障害を起こすことが多く、簡単な動作もままなりません。感情失禁(喜怒哀楽が激しくなる)もあるので、自分にいらついて、家族に八つ当たりすることも少なくありません。そして、後悔します。

「昔、できたこと」は忘れてください。

「まだ、こんなこともできる。こんなこともわかる」と、できることを見つけてください。

歩行も話し方も不自由ですが、理解力も判断力もしっかりしていることがあります。脳の血流が悪いために、言葉がスムーズに出て来ないので、会話ができないこともあります。しかし、ゆっくり時間をかけて会話するようにすれば、昔の「頼れる父親」が存在していることがわかります。

「できないこと」に目を向けず、「できること」を見てください。

「できないこと」は、お父さんに手を貸して、「できる」ようにしてあげてください。そうすれば、お父さんとの共同作業・協力体制が戻ってきます。

アルツハイマー型認知症の場合も、同じです。

軽度から中度の場合は、まだまだ「できる」ことがあります。

特に初期の軽度の場合は、「できる」ことがたくさんあります。お父さんといっしょに「できる」ことを見つけてください。「できないこと」は、手伝って「できる」ようにしましょう。お父さんと力を合わせて、認知症と闘うのです。

 

お父さんといっしょに闘って

お父さんと力を合わせて認知症と闘ってください。

「闘うお父さん」の姿を見れば、介護する勇気が湧いてくるでしょう。

お父さんが落ち込んでしまうと、介護する家族もつらさが先に立ち、気力を失ってしまいます。お父さんといっしょなら、がんばれますよ。

闘うために、介護サービスを活用してください。

認知症は脳を活性化することで、進行を遅らせることができます。それには、自宅で家族とだけ過ごすよりも、デイケアサービスなどで他の人達といっしょに身体を動かしたり、ゲームをしたり、歌ったりする方が、効果があります。ショートステイで、外泊するのも気分転換になります。

介護サービスを受ければ、家族の介護負担が少し楽になります。余暇ができたら、介護者も気分転換したり、十分休養をとったりしてください。

心身が疲労していれば、何もかも悲観的に考えてしまいます。

それでも、「老い」には勝てません。

お父さんは確実に老いていきます。認知症をくい止めることができても、加齢による身体機能の低下は避けることができません。

在宅介護が困難になる日が訪れるかもしれません。

在宅介護から、病院や介護施設に移すことは、お父さん本人のためにもいいことです。専門家の行き届いた世話を受ける方が、安心で快適に過ごせます。

「お父さんを見ているのがつらいから、施設に入れた」と考えると、後で悔やむことになります。悔やんでも悔やみきれず、自分を責めることになります。

そう考えないようにするために、できる限り、お父さんといっしょに闘ってください。「闘った思い出」が、後で介護した家族を支えてくれます。

「おとうさんと、いっしょにがんばったね」という記憶が、力づけてくれます。

後悔などすることはないのです。

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。