親を看取って一人前【後編】

2016/05/19

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看取りの時

祖母が個室に移されるとすぐ酸素テントが張られ、輸血が開始されました。祖母の苦しみはますます強まり、意識が混濁し始めました。しばらくして、ふっと意識が戻り、輸血の管を見て「やっと手術がおわったんだね」と言いました。母は「そうだよ、終わったんだよ、もう少ししたら楽になるからね」と言いました。これが祖母と母が交わした最後の会話になりました。

病室には、家族が続々と集まりました。その頃には祖母の意識はほとんどなくなり、呼びかけにも答えなくなりました。しかし、最後に叔父―祖母にとっては1番かわいい末息子―が駆け込んで枕元に立ち大声で叫ぶと、目覚めたように薄く目をあけ「やっと来たね」と言ったそうです。そしてこれが祖母の最期の言葉になりました。祖母は夫と子ども全員に見守られながら息を引き取りました。

 

看病明けで疲労困憊

看取りが済むと祖母の腰の下からレントゲンが撮られ、教授の回診を受けました。そして普通は病室からすぐに出ないといけないらしいのですが、母は前夜からほとんど眠っていなかったので、祖母が清拭や薄化粧をされている間、もう1つ有ったベッドに寝てしまったそうです。

ふらついて気分が悪くなったので病院で血圧を測ってもらうと、上の血圧が70台にまで下がっていて、立っているのがやっとだったそうです。通夜や葬式の準備に加わって忙しく立ち働いていたようですが、全て終わった後、細かいことはほとんど覚えていなかった、と言います。祖母の最期の一夜に全力で付き添い、自分も何かもう色々力を出し尽くした感じだった、と。

そして通夜の前に、父に連れられて小学生の兄と私が到着しました。父は事前に母が自分で準備していた喪服一式を持っていきました。私が渡しにいくと、母に強く抱きしめられたことを覚えています。

改めて当時の話を聞くと、私は頼まれたものを持って行っただけなのですが、靴が入っていなかったそうです。結局、足のサイズが近い義姉に黒い靴を借りたそうですが、通夜の準備をしている最中に靴を借りに行くのは正直大変だった、あの頃は小学生だったので気づかなかったのはしょうがない、「でも次は、あなたが私を送り出す番よ。その時は、黒い靴を忘れないでね」と母は言いました。

この記事を書いたライター

本間 純子
本間 純子

「色々なことがあったけれど、悪くない人生だった」と要介護の父、持病がある母に思ってもらえれば。そう願って、時には激烈なケンカをしながら一緒に暮らしています。
老いや病気はきれいごとでは済まないこともありますよね。それでも前に進んでいかなければなりません。人生の先輩方や支える家族の方々が、できるだけ元気で楽に暮らせるような情報をお伝えできればと思います。
どうぞよろしくお願いします。