介護施設を転々と・・・

2016/06/07

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家を処分して入居金を支払い、せっかく入った有料老人ホームなのに、入居者や介護士と喧嘩して飛び出してしまう人がいます。

最期を迎えた介護施設でも、不平たらたら・・・やはり、自宅で世話をした方がよかったでしょうか?

 

お嬢様は贅沢三昧

O夫人は船場の老舗企業のオーナー一家に生まれ、わがままいっぱいに育ちました。贅沢な暮らしが、当り前だったのです。

結婚相手が実家の商売を手伝ってくれたので、嫁入り後も「お嬢様暮らし」に変わりはありません。夫が亡くなっても、実家の店の役員ですから、収入があります。のんきで陽気な未亡人となって、遊び廻っていました。

夫を供養するために、四国でお遍路さんをしたり、関東の秩父霊場を巡ったりしましたが、それも全行程タクシーをチャーターして行くのです。

「秩父までタクシーで行く」と言われて、東京駅に出迎えた姪は目が点になったそうです。

しかし、バブル経済崩壊後の長い景気低迷で、実家の会社経営は苦しくなるばかりでした。さらにリーマン・ショックによる「百年に1度の世界的大不況」が、会社を倒産寸前まで追い込みました。

会社の状況がわからないO夫人が、会社のクレジットカードを好き放題に使ったり、タクシー代の請求書が廻ってきたりするのは、この上ない迷惑です。

O夫人の息子も実家の会社に勤めていたので、社長や役員達と話し合い、O夫人に退任してもらいました。規定通り、退職金も払いました。

O夫人は面白くありません。

「自分の会社から追い出された」と、社長をはじめ役員全員と大喧嘩して、親戚の縁を切ってしまいました。一人息子との仲も険悪になり、ことに息子の嫁さんに当るようになりました。

少し前から、O夫人には認知症の気配が出ていたようです。息子夫婦とは別居して、家政婦さんに来てもらっていましたが、「財布を盗まれた」とか「指輪をとられた」とか言うので、家政婦さんはすぐに辞めてしまいます。

小火を出したり、階段から落ちたり、夫人の独り暮らしは難しくなりました。

息子は母親との同居を考えましたが、嫁さんが承知しません。

 

 

お嬢様は喧嘩好き

息子は母親に介護付き有料老人ホームに入ることを勧めました。

入居一時金も毎月の費用もかなり高額ですが、それだけのことはあります。

居室も設備も最新式で、食事もなかなか贅沢です。看護師が常駐し、医師も定期的に訪問診療します。

見学に行ったO夫人は大いに気に入りました。

自宅を売って現金に換えました。入居金や毎月の費用の支払いには十分すぎるほどです。寝たきりになり、高度な介護が必要になっても、大丈夫です。

O夫人は喜々として老人ホームに入居しました。

ところが、1ヶ月も経つと、O夫人は「ホームを出る」と言い出しました。ホームの入居者や職員と大喧嘩したのです。

O夫人は娘の頃から「歯に衣着せず、ものを言う」性格でしたが、年をとるにつれて、さらに舌鋒が鋭くなりました。入居者の服装から食事の仕方まで、一々批判するのです。職員には高圧的な態度で接し、細かいことに文句をつけました。入居者の間からも職員達からも、O夫人に対する不満が続出しました。

ホームの理事長がO夫人に注意したため、O夫人はホームを飛び出し、息子の家に転がりこみました。

今度は、息子の嫁さんと喧嘩の日々です。

息子がどんなに説得しても、夫人はホームに帰りません。認知症も進行して、介助なしには暮らせません。嫁さんとのトラブルは増大するばかりです。

嫁さんが離婚をちらつかせる前に、息子は新しい老人ホームを見つけました。

しかし、どの介護付き老人ホームでも、O夫人は喧嘩を繰り返しました。

最初は大いに気に入って入居するのですが、2ヶ月と保ちません。入居者や職員と喧嘩しては、ホームを飛び出すのです。

ホームの大半は高額な入居金を返しませんから、お金をドブに捨てるようなものです。預金通帳の残高がぐんぐん減っていくのも、息子の頭痛の種でした。

 

お嬢様は意地っ張り

O夫人は、介護付き老人ホームを転々としました。

息子も利口になって、入居金なしのホームを選び、出費を抑えました。

そんなことを繰り返しているうちに、O夫人は膵臓癌になりました。癌が発見された時には、STAGEⅢでした。

O夫人は体調不良をふくめて文句が多いので、息子もホームの職員も「いつものこと」と聞き流してしまい、発見が遅れたのです。

病院で放射線療法と化学療法を受けましたが、治療効果は限られていました。

退院した時には「寝たきり」状態で、介護付き有料老人ホームに直行しました。そこは隣にある大病院の付属施設なので、息子も安心できました。

寝たきりになっても、O夫人は口が達者でした。

介護士達に感謝するどころか、文句と悪口を言いまくりました。我慢強い介護士も看護師も、O夫人には手を焼きました。時には、手荒な扱いをすることもあったようで、息子が見舞いに来る度に、「ここを出て、他へ移る」と訴えました。けれど、転院するだけの体力もお金も残っていませんでした。

O夫人は、周囲の人々に批判と非難を浴びせ続けて亡くなりました。

息子夫婦はほっとしながらも、なんとなく後悔しています。

O夫人のようにわがままいっぱいに生きてきた人は、老人ホームのような団体生活になじめないかもしれません。自尊心が高く、勝気なO夫人は、他人と妥協することが難しいのです。

「やはり、同居して面倒を見るべきだったかな・・・」

息子も嫁さんも、O夫人の人柄を思い出してため息をつきます。

最近の有料老人介護施設における虐待報道には、背筋が寒くなります。

O夫人のように「可愛げのない意地っ張りなお嬢様」は、虐待を受けやすくなります。

「もしかすると、母も虐待されていたかもしれない・・・」

今さら後悔しても手遅れです。

この記事を書いたライター

潮美 瑶
潮美 瑶

人生とは「死に至る病」と申します。
生まれ落ちた時からゴールがわかっています。50歳を過ぎる頃から、ゴールが身近に感じられるようになります。
許されるものならば、できるだけ平穏にゴールを迎えたいと思っております。穏やかに、安らかに、悔いもなく、人生の幕を下ろせたら、どんなに幸せなことでしょう。見送る遺族の悲しみも、多少薄らぐことと思います。
終活情報を伝えることで、少しでも平穏にゴールを迎える役に立つならば、私自身にも大きな意味があります。