歴史に残った辞世の句【軍人編】

2016/06/17

日本独自の文学であり死生観でもある「辞世の句」。
この世に別れを告げる際に歌で心をあらわすというのは、現代に生きる我々からすると圧倒されるようでもあります。

「歴史に残った辞世の句」シリーズ第四弾は「軍人」編です。

極限状態の戦場で、その命を絶った軍人たちはどのような言葉を遺したのでしょうか。

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辞世の句:軍人編

乃木希典

gun1

陸軍大将。日露戦争において旅順攻囲戦の指揮を執った。

1849年、長州藩士の家に生まれる。
15にして初陣。第二次長州征伐に従軍し、奇兵隊の山縣有朋指揮下で戦う。

明治維新後は陸軍に入隊し軍歴を重ね、1877年には西南戦争に参加。
このとき緒戦において連隊旗を奪われる、これが生涯の悔恨となる。

ドイツ帝国への留学を経て、日清戦争では歩兵第一旅団長として従軍。
蓋平・太平山・営口および田庄台などの戦場を戦い、武功を上げる。

つづく日露戦争において、第三軍司令官として出征。
難攻不落の要塞・旅順の攻略を任ぜられる。

航空機も戦車もない時代、機関砲を装備した要塞に対する攻撃は困難を極め、甚大な被害を出しつつ攻撃は進められた。戦死15000、戦傷44000の被害を出しつつも旅順攻略に成功し、乃木は名将として世界的に称えられることになる。

旅順攻略より8年後、明治天皇の大葬の直後、切腹により死去。享年62。
日露戦争において多大な犠牲を出したことへの、悔恨からの自刃とも言われている。

【乃木希典の辞世の句】

神あがり あがりましぬる 大君の みあとはるかに をろがみまつる
うつし世を 神さりましし 大君の みあとしたひて 我はゆくなり

訳:崩御され天にのぼる天皇陛下のみ跡をはるかに拝ませて頂きます
訳:現世を去った天皇陛下のみ跡を慕って私もつき従っていきます

 

甘粕正彦

gun2陸軍軍人。甘粕事件(大杉事件とも)の実行者。
また関東軍の特殊工作員として、満州国建設にも深く関わった。

1891年、旧米沢藩士の家に生まれる。
陸軍幼年学校を経て22で陸軍士官学校を卒業。仕官候補生第24期として卒業し、当初は歩兵科であったが怪我のため憲兵科に転科する。

1923年9月1日、甘粕32歳のとき関東大震災が起こり東京全土が混乱に陥る。
同年9月16日、東京憲兵隊麹町分隊長だった甘粕は、アナーキスト大杉栄とその内縁の妻、7歳の甥の3名を憲兵隊本部に強制連行の後、厳しい取り調べの後死に至らしめる。これがいわゆる「甘粕事件」である。

大杉栄の存在を危険視した軍上層部の謀略説など、さまざまな陰謀論が出たが、軍法会議では甘粕の単独犯という判決が下り、事件後3年間服役する。

出所後、フランス留学を経て満州国へ。
満州国では関東軍の指揮下で情報・謀略工作に従事。「甘粕機関」という民間の特務機関を設立し、さまざまな情報工作に携わった。

1945年、ソ連軍が満州国首都に迫りくる中、青酸カリを飲んで服毒自殺。享年54。

【甘粕正彦の辞世の句】

大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん

訳注:日本や満州国の運命と、自分の人生を重ねて読んだ川柳とされる。

 

左近允尚正

gun3海軍中将。
ビハール号事件の責任をとって、イギリス軍により処刑された。

鹿児島県出身。水雷戦の専門家で、太平洋戦争では第二南遣艦隊第16戦隊の司令官としてインドネシア攻略、渾作戦、レイテ島輸送作戦などにあたった。

後に支那方面艦隊参謀長に就任、生きて戦後を迎えたが、作戦中の捕虜殺害事件「ビハール号事件」の戦犯として逮捕され、イギリス領香港スタンレー監獄にて絞首刑に処された。
享年57。

【左近允尚正の辞世の句】

絞首台何のその 敵を見て立つ艦橋ぞ

 

大西瀧治郎

gun5海軍中将。神風特別攻撃隊の創始者。

1891年、兵庫県の小地主の家に生まれる。
海軍兵学校を経て海軍少尉に。兵学校では剣道・柔道が達者で「喧嘩瀧治郎」とあだ名されていた。私生活も豪放で、見合いの席に泥酔して現れる、料亭で暴れるなどの事件を起こしたびたび新聞沙汰になっていた。ちなみにこの素行不良のため、海大受験に失敗している。

航空畑を歩み、日中戦争では重慶作戦の参謀長として従事。
太平洋戦争では第十一航空艦隊参謀長、航空兵器総局などを歴任した。

1944年10月、第一航空艦隊司令長官に着任すると、悪化の一途をなどる戦局を挽回するために、「体当たり攻撃」による特別攻撃部隊、いわゆる「神風特別攻撃隊」の編成に取り掛かる。大西によって編成された特攻隊は、終戦の8月15日まで作戦を継続した。

終戦翌日の8月16日、「死をもって旧部下の英霊とその遺族に謝する」旨の遺書を残し切腹。
享年54。

【大西瀧治郎の辞世の句】

これでよし百万年の仮寝かな

この記事を書いたライター

小山 晃弘
小山 晃弘

ブロガー、フリーライター。
セラヴィ」「リクナビNEXTジャーナル」「ASREAD」など、さまざまな商業Webメディアで活動中。
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