自分の生きた証を残したい

2015/05/01

「生きた証」とは、なんでしょうか。例えば有名な俳優ならば、演技でその名を人々の心に刻むことが生きた証になるでしょう。作家であれば、著作が後世に読み継がれていくことで、生きた証を残したことになるのかもしれません。一般人ながら、仕事で優れた功績をあげる、スポーツで突出した記録を出す、といった形で人々の記憶にその名を焼き付ける人もいます。「生きた証を残す」とは、自分という存在をひとりでも多くの人の記憶にとどめてもらうことなのかもしれません。

残された人の心の中にある生きた証

生きた証を残したいしかし、「生きた証を残したい」と強く願っても、その名を聞けば成し得た物事がわかるほどの「何か」を世の中に残せる人はそう多くありません。そもそも、多くの人が望んでいる「生きた証」は、不特定多数に認めてもらうことではなく、自分が大事に思う人たちの記憶に残ることを指すほうが多いのではないでしょうか。

人生の締めくくりについて考えるとき、誰もが自分の来た道を振り返り、自分が生きていたことを覚えていてほしいと願います。また、残された人々も、故人が確かに存在していたという事実を忘れたくないと思うはずです。故人の好きだった本を読んだとき、故人の愛した歌を口ずさんだとき、故人の残した言葉に励まされて前へ進めたとき。ふと心に蘇る故人の記憶こそ、その人が生きた証なのです。趣味やスポーツに没頭する時間、友だちとのおしゃべりに費やす時間、そのすべてがいずれ自分の来た道を明らかにする足跡になると思えば、生きている時間に感謝して毎日を過ごせそうですね。信頼できる人とのかかわりを大切に、1日1日を大切に生きていきたいものです。

「もの」で遺す生きた証

思い出は心の中だけでなく、故人から託された「もの」にも宿っています。遺品を手にして初めて、記憶から抜け落ちていた故人との場面がよみがえることもあるでしょう。遺産を生活に役立てながら、故人の生きざまに思いを巡らせることもあるでしょう。そうして、故人の生きた証は「もの」を通じて後世へと伝わっていくのです。

どのみち、「もの」を自分で使うことができるのは生きているときだけ。「家族に残したいもの・守ってもらいたいもの」を元気なうちにリストアップする作業は、自分の生きてきた道のりを振り返り、生きた証と言えるものは何かを探る時間としてもお勧めです。

自分のための生きた証

ここまで、残された人、未来を生きる人に受け継ぐための「生きた証」について考えてきました。最後に、自分のための「生きた証」について考えてみましょう。自分の心に整理をつけ、自分の「生」に納得するために探す「生きた証」です。生きていく中で成し得たこと、成し得なかったこと。喜びや後悔。自分史を綴れば、そこには皆に等しくある日常があり、そして自分だけのドラマがあります。そのドラマこそ、一人ひとり違う人生がそこにあったことの証拠にほかなりません。「自分の人生とは何だったのか」という問いに対する答えを見つけることは、これまでの人生に誇りを持って余生を歩むことにつながり、ひいてはライフエンディングステージを一段と輝かせるための糧となるでしょう。